元宵節には湯円を食べる習慣がある。湯円はもち米を原料とした団子であり、中には様々な具が入れられる。甘いものとしては砂糖、胡桃、ゴマ、小豆餡、氷砂糖などが、塩辛いものとしては肉や野菜で作られた具が入れられる。
元宵节有吃汤圆的习惯。汤圆是以糯米为原料制成,里面有着各种馅儿。甜汤圆里有砂糖、核桃、芝麻、小豆馅和冰糖等,咸汤圆则是以肉和蔬菜作馅儿。
熱湯の入れられた鍋で茹でる際、湯の中で団子が踊る姿を天に輝く満月に見立てた。そして家庭が団円(円満の意味)と音が似ている「湯円」という漢字が使用され、宋代の周必大も『元宵煮浮円子」という詩の中で「今夕是何夕、団円事事同」と表現し、現在でも台湾では「吃了湯円好団円」という民謡が広く知られている。
在热水锅里煮的时候,汤圆在水里滚动的样子就如同天上的明月般。而且跟家庭团圆的意思谐音,所以用了“汤圆”这两个字,宋代周必大《元宵煮浮元子》的诗中有着“今夕是何夕,团圆事事同”的句子,现在台湾“吃了汤圆好团圆”的民谣也广为人知。
元宵節に湯円を食べる由来は唐代に元宵節に食べられていた麺蚕にさかのぼることができる。宋代になると乳糖円子と称されるようになりこれが湯円の前身であると考えられる。宋代の詩人周必大による『元宵煮浮円子』という漢詩の中に「星爛烏雲里、珠浮濁水中」という一文があり、現在の湯円に近い形態であったと想像される。
元宵节吃汤圆的习俗可追溯到唐代元宵节吃的面蚕,到宋代被叫做乳糖圆子,据信这就是汤圆的前身。宋代诗人周必大的《元宵煮浮元子》的诗中有“星烂乌云里,珠浮浊水中”的句子,可以想见其形状已经跟现在的汤圆很接近了。
明代になると元宵の名称で呼ばれることが多くなる。劉若愚の『酌中志』にその製法が記載[4]されている。また清代になると八宝元宵と称される湯円が美食として知られるようになり、元宵節に欠かせない料理として定着していくこととなった。
到明代元宵这种叫法多了起来,刘若愚的《酌中志》中记载有其做法。此外,到清代又叫做八宝元宵,汤圆作为一种美食广为人知,最终成了元宵节不可或缺的食物。