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“想学习动画片的制作技术”四川大地震的中国受灾者到日本留学(中日对照)

作者:刘小真 文章来源:本站原创 点击数 更新时间:2009-11-24 11:15:19 文章录入:kanone 责任编辑:kanone

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「アニメの技術、学びたい」 四川大地震の中国人被災者が日本留学
“想学习动画片的制作技术”四川大地震的中国受灾者到日本留学

「助かった命ならあこがれの国で夢をかなえよう」。昨年5月の中国・四川大地震で被災した後、そんな思いを胸に秘めて来日した中国人男性がいる。兵庫県尼崎市の日本語学校に通う留学生のトウ鵬さん(23)。幼いころに見て感動した日本のアニメの制作技術を学ぶため、大学院進学を目指す日々だ。「日本語が上達したら阪神大震災の被災者とも交流したい」。アニメを介した日本との“縁”は今、被災体験を通じた国際交流という新たな夢もはぐくんでいる。
“如果能获救的话就去向往中的国家实现梦想”。去年5月份,中国四川省大地震之后,有一个中国男孩怀揣着这样的梦想来到了日本。他就是兵库县尼崎市日语学校的留学校唐鹏(23岁)。小时候看日本动画片之后深受打动,为了学习动画片制作技术,现在正在为了进研究生院而努力。“如果日语流利的话想和阪神大地震中的受害者交流”。通过动画片而和日本结下的“缘”,正在慢慢的培养出通过受灾经验进行国际交流的崭新的梦想。
 トウさんは四川省生まれ。小学生のころ、現地のテレビ放送で「ドラえもん」「スラムダンク」などの日本のアニメに出合った。色鮮やかで繊細な映像美に魅せられ、日本の文化に興味を抱いた。高校卒業後には同省成都市の電子科技大に入学し、アニメ制作の基礎となるソフトウエアデザインを専攻した。 被災したのは大学4年の時。昼過ぎ、大学の寮でくつろいでいた際に激震に襲われた。震源地から約60キロ離れた大学では目立った被害はなかったが、少し離れた場所では学校が倒壊するなどして多数の死傷者が出た。両親を亡くした同級生の悲嘆に暮れる姿にも心が痛んだ。
翌日からボランティア活動に加わった。大学は被害が大きい震源地付近に救援物資を運ぶ中継地になっており、通りかかったタクシーやトラックに荷物を積み込む作業を手伝った。日本の医療チームが他国に先駆けて救援活動を始めたと聞き、頼もしく思ったことを覚えているという。
唐鹏出生在四川省。小学的时候,当地电视台播放了《哆啦A梦》《灌篮高手》等,那是他第一次接触日本动画片。他被这种色彩鲜艳、细致的映像美所吸引,对日本文化产生了浓厚的兴趣。高中毕业之后,他考入了四川省成都市的电子科技大学,专业是动画制作基础的软件工程。
受灾的时候是在大学四年级。中午刚过,当他想在寝室好好休息一下的时候,地震发生了。大学距离震源地约有60千米的距离,因此没有遭受太大的损害,然而离震源地较近的地方,却因为有学校倒塌等伤亡惨重。看到失去双亲的同学终日以泪洗面,他的心里不禁隐隐作痛。
  第二天开始他就加入了志愿者行列。大学成了往受灾严重的震源地附近地区运送救援物资的中转站,他就帮忙往经过的出租车、大卡车上搬行李。他说自己仍然记得,当听说日本的医疗小组率先开始了救援行动时,心中立刻觉得有了依靠。
 約2カ月後に大学を卒業したが、進路に悩んだ。「助かった命なら好きな道を歩むべきでは」…。両親に日本行きを相談すると、同県西宮市に親類がいることを聞かされ、留学を決意。今年4月、2年制の尼崎国際日本語学校に入学した。
  現在、学校では約60人の中国人仲間と寮生活を送り、12月に実施される日本語能力試験に向けて猛勉強に励む。卒業後は大学院に進学して専門的なアニメ制作技術などを学ぶつもりだ。「日本の高度な技術を中国に持ち帰って広めたい」と話す。
大约两个月之后,他从大学毕业了,不禁为自己的前程苦恼起来。“如果获救的话,是不是应该走自己想走的路呢”。。。当他和父母谈起想去日本的时候,父母告诉他宫崎县西宫市有亲戚,于是他坚定了留学的信心。今年4月份,他进入了2年制的尼崎国际日本学校。现在,他和60个中国同胞一起住在学校的寝室里,正在为了12月的日语能力考试而努力学习。毕业之后,他打算进研究生院学习专业的动画制造技术。他说:“我想把日本先进的技术带回中国,并加以推广”。
 一方、母国でインターネットを通じて知っていた阪神大震災の被災地で暮らす中で、自然と、もう一つの夢が芽生えた。
  同じような大地震に見舞われた故郷の惨状は生々しく記憶に残る。だが、阪神地域の街並みにはすでに震災の面影が見当たらないほど復興が進んでいることに驚いたという。
「15年を迎える来年の1月17日には慰霊イベントに参加しようと思う。阪神大震災を経験した日本人の友人も作って、復興途上にある祖国の被災者にも紹介したい」
另一方面,在中国的时候,他通过网络了解了阪神大地震,现在生活在这片受灾地上,很自然的,他的又一个梦想悄悄发芽了。
同样是受大地震毁坏的故乡的惨状,在他的记忆中印象鲜明。然而,他说,阪神地区的街道什么的完全看不出当年地震的影子,恢复成这样,他很是震惊。
“明年1月17日,是地震之后第15年,我打算去参加祭拜亡灵的追悼会。同时也想和经历了阪神大地震的日本人交朋友,然后把他介绍给还在复兴中的祖国受灾同胞们”。
出处:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091123-00000571-san-soci
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