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企业经营 适者生存(中日对照)

作者:来源 文章来源:沪江 点击数 更新时间:2015-6-18 10:45:15 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

「泥と炎」と形容されたベトナムの戦場で、まず名をあげた日本人カメラマンは岡村昭彦だった。実は写真は素人で、通信社と契約して赴任したときフィルムの詰め方を支局長に聞いたという逸話を残す。だが活躍はめざましく、写真家の憧れだった米国のライフ誌を矢継ぎ早に飾った。


在那被称为“泥沼与火焰”的越南战场上,最先扬名天下的日本摄影师是冈村昭彦。实际上他是一个摄影外行,有逸闻说,当他与通信社签约赴任时,甚至连胶卷的装填方法都是请教的支局长。然而,活跃的程度却大放异彩,并因此而接二连三地在摄影家所憧憬的美国生活杂志上发表自己的作品。


同誌は岡村を「ロバート キャパを継ぐ戦争写真家」と絶賛した。本人いわく「フィルムの詰め方は知りませんでしたが、何にレンズを向けるべきかは知っていました」――デジタルカメラ全盛のいま、こんな伝説はもう生まれない。


该杂志高度称赞冈村是“继罗伯特·凯帕之后的战争摄影家”。按其本人的说法是,“虽然不知道胶卷的装填方法,可是知道该把镜头对准什么地方”。在数码相机进入了全盛时代的当前,想必再也不可能诞生出如此这般的传说了吧。


米イーストマン コダックの経営破綻に、20世紀が遠ざかる思いの人は多かろう。その歴史はフィルムカメラの歴史でもあった。キャパも愛用していた。人類初の月面も記録した。あの黄色い箱のフィルムは、近代の栄光と悲惨をつぶさに目撃してきた。


恐怕很多人是因为美国科达公司(Eastman Kodak Company)的破产而觉得20世纪已经离我么远去的。该公司的历史也是胶卷相机的历史,凯帕也很喜欢使用这家公司的产品。它还记录下了人类首次拍摄到的月面影像。这种黄色盒装的胶卷无一遗漏地目睹了现代的荣光与悲哀。


音声付きの映画フィルムも開発した。アカデミー賞映画のほとんどは同社製で撮られたという。皮肉なことに、フィルムの栄光を忘れ得ない経営によって、デジタル時代から取り残されていった。


该公司还开发了附有声道的电影胶卷,据说获奥斯卡奖的电影几乎都是采用该公司的产品拍摄的。颇具讽刺意义的是,正是由于该公司难以忘却胶卷之辉煌的经营方式,才使得它们被数码时代所淘汰。


ホンダの創業者本田宗一郎が会社経営を「槍」にたとえていた。突くよりも引くスピードが大切だ、と。方向転換の決断の大切さとともに、ひとつの成功にいつまでも酔うなという教訓だろう。


本田公司的创业者本田宗一郎将公司经营比喻为“长矛”,认为收枪动作的速度要比突刺更快才行,这一点非常重要。这除了说明决定转换方向的重要性之外,同是也告诫我们不能永远沉醉于一项成功之上,可谓教训深刻。


おごれる者は久しからず。それを皮肉って、おごらずとても久しからず、とも言う。強い者が生き残るのではない。適応できた者が生き残る。茨の道をどの企業も歩んでいる。


俗话说骄者不久长,但是具有讽刺意味的是还有一种相反的说法,不骄者也未必长久。强者不一定就能生存,倒应该是适者生存。无论哪一家公司都行走在布满荆棘的道路之上。




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