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又见武士道精神!日本男性为啥这般腼腆?(中日对照)
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作者:来源 文章来源:沪江 点击数 更新时间:2015-8-21 15:11:15 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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「日本人は恥ずかしがり屋」というのは世界的に有名な話で、特に男性は、女性をエスコートすることがとても苦手と言われたりしますよね。外国人男性はレディファーストが習慣づいていて、女性をエスコートしたり花束を贈ったりすることを当然のように行っていますが、日本人男性にとってはなかなかハードルが高い様子。 日本人在世界上是出了名的腼腆,尤其是男性,据说他们很不擅长当护花使者。外国男性习惯于女士优先,不管是当护花使者还是送花给女性,都做的很理所当然,而这对日本男性来说似乎很难。 それにしても、日本人男性は一体どうして、そしていつからシャイになったのかちょっと気になりませんか?その疑問を探ってみると、なんと江戸の歴史にヒントがありました!歴史作家の堀江宏樹さん、シャイな日本人男性と江戸時代にはどんな関係が? 话说,难道你不会好奇么?日本男性到底是为什么、从什么时候开始变得如此腼腆呢?在一番刨根问底后,我们居然在江户时期的历史中发现了点蛛丝马迹!请问历史作家堀江宏树先生,腼腆的日本男性和江户时代到底有着怎样的关系呢? 「歴史をさかのぼると、江戸期以降、喜怒哀楽を表に出さないことを是とする『サムライ』を理想とする文化が受け継がれたことが関係しているでしょう。じつは、平安時代までの人々の感情表現は非常に激しく、光源氏に至っては、『自分の好きな人が死んだとき、悲しすぎて失神し馬から落ちた』というエピソードが残されているくらいです。しかし、時代が流れ、武士が活躍するようになると状況は一変。『武士は食わねど高楊枝』ということわざにもあるように、苦しい状況でもやせ我慢をして品位を保とうとする武士の姿が美徳とされ、感情をあらわにせず、多くを語らないことをよしとする男性の理想像が出来上がったのです」(堀江さん) “追溯历史,这应该关系到一种文化的继承吧,因为在江户时期以后,主张把喜怒哀乐藏于内心的武士精神被人们所推崇。其实,直到平安时期,人们的感情表达都还是十分强烈的,甚至连那位光源氏都给人们留下了这么一个故事——当他心爱的人离开这个世界时,他悲痛至极失去意识,从马上摔了下来。然而,随着时代的变化,武士势力开始活跃,情况也发生了逆转。正如俗语‘武士は食わねど高楊枝’(意为武士即便穷得吃不上饭,也会装作吃过并拿着牙签来剔牙,类似于中文的打肿脸充胖子)说的那样,即使处境艰苦,也会硬撑着以保全颜面的武士行为被视为一种美德,于是,‘情不外露话不多说’的理想男性形象就这样被塑造出来了。”(堀江先生) つまり日本人はもともとシャイだったというより、サムライの振る舞いを尊敬して、自ら「寡黙な男」になる努力をしていたんですね!さらに、江戸時代ならではのこんな事情にも関係が。 也就是说,其实日本人并非天性害羞,而是因为尊崇武士的举止、从而以“沉默寡言之男性”为目标一直努力着咯。另外,这也和江户时期特有的社会现状有关。 「当時は士農工商という身分制度があり、男性はその家庭に生まれたときから自分の将来が既に決まっていました。同時に、身分をわきまえて生きれば少なくとも不幸せにはならないというルールがあったのです。一方、女性には結婚で自分の人生を変えられるチャンスがありました。身分の低い女性がいいところの男性と結婚することを指す『玉の輿にのる』という言葉は、八百屋の娘だったお玉さんが徳川家光の側室となり、後に綱吉の母となって出世したことが由来だとされる俗説もあります。 “当时日本有士农工商这样一个身份等级制度,男性从其家庭里一出生,就已经被决定未来了。同时,社会上也有这样一个规则——只要你认清自己的身份,至少不会活的不幸。而另一方面,女性则还有一次改变自己命运的机会,那就是结婚。有句话叫做‘玉の輿にのる’,指的是身份低微的女性嫁了一个好人家,对于这话的出处,坊间有这样一种说法——原为菜铺子店主之女的阿玉嫁入德川家成了德川家光的侧室,后诞下德川纲吉并出人头地。 現代でも、お稽古ごとや自分磨きに熱心になるのは男性より圧倒的に女性の方が多いですよね。そうやって努力次第で未来を変えられる女性とは違い、男性の生き方には士農工商的な性格が受け継がれている部分が大きいのです。自分で未来を切り開くという考え方を重視し、革命を起こしてきた諸外国から見ると、日本人男性の姿は『主張をしない』、『シャイでナイーブ』に映るのかもしれませんね」(同) 即使在现代,热衷于学艺以及自我充电的女性也是远远多于男性对吧。与可以通过自身努力改变未来的女性不同,男性的生存方式很大程度上受到了骨子里士农工商性格的影响。在注重自己开创未来、挑起革命的外国人看来,日本男性恐怕是“不作主张”“腼腆天真”这样一个形象吧。”(同) 逆に言えば、江戸時代が260年も続いたのは、こうした身分制度のもと安定した世の中が築かれていたということ。社会のルールを重んじ自己主張を控える男性がいなければ、平和な世の中は成り立たなかったのかもしれませんね。 反而言之,江户时期之所以能持续260年之久,也是因为这种身份制度实现了社会长治久安的缘故。如果没有重视社会规则抑制自我主张的男性,也许就不会有和平的社会了吧。 ところで、当時の女性達は感情を表に出さない男性のことをどう思っていたのでしょう?やはり、寡黙な男性が好みという人も多かったの? 话说回来,当时的女性们都是如何看待感情内敛的男性的呢?还是有很多人喜欢沉默寡言这一型的吧? 「喜怒哀楽を表に出さない男性は、ズバリ女性にモテました。江戸時代のモテ男の典型像といえば、歌舞伎で有名な『助六』という男です。ちょいワルなサムライ・助六の周りには何人もの遊女が集まり、みんな寄ってたかって助六の煙管(キセル)に火をつけたがりました。そんな超モテ男の助六ですが、本命の相手『揚巻』にだけは一途でとてもシャイだったよう。その結果、感情を表に出さないことが逆にミステリアスな印象を与え、周囲の女性達はますます『なんだか謎めいていてステキ』と心を奪われていったのです」(同) “把喜怒哀乐藏于内心的男性确实很受当时的女性欢迎。说到江户时期的典型人气男,就不得不提歌舞伎中的名人‘助六’了。看起来有些小坏的武士•助六周围聚集了很多艺妓,大家一拥而上,各个都想为他点上烟管。而据说,这位超有女人缘的助六很是腼腆,他只对本命女‘扬卷’情有独钟。结果,他的这种内敛反而让人觉得摸不透,周围的女性们总觉得他‘神秘而优秀’,也越来越被他所迷倒。”(同) 女性がいい意味で勘違いをしてくれて、ますますモテてしまうなんて!シャイボーイの人からしたら、羨ましい限りかも!?それにしても、歴史を探ると日本人の気質の根源が見えてきて、とても興味深いですね。いつか外国人に「日本の男はシャイね!」なんて言われたら、ぜひ今回の説を教えてあげてください! 被女性误解,且是往好的方向误解,然后越来越受欢迎?这样的好事也许会让腼腆男孩们羡慕不已吧!?话说回来,像这样追溯历史并慢慢看清日本人性格的根源,也是相当有意思呢。如果哪天外国人对你说“日本男人真腼腆啊!”,你一定要把今天这些说法告诉他哦!
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