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日本的天才数学家:关孝和(中日对照)
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作者:佚名 文章来源:沪江 点击数 更新时间:2015-8-26 10:03:02 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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文系人間にはどうも敷居の高い数学。しかしハマるとこれほど抜け出せない学問もないようで、江戸時代に信じがたい数学ヲタk……もとい、数学者がいました。宝永五年(1708年)のあす10月24日、和算という日本独自の数学を修め、「算聖」と称えられた関孝和(たかかず)が亡くなりました。この人は小さいころから「塵劫記」(じんこうき)などの数学書を好んで読んでいたという、根っからの数学好き。そのヲタぶりを生かし、後の六代将軍・徳川家宣(当初は綱豊)に監査役として仕えました。 家宣が江戸に来るときにもお供をしています。 对学文科的人来说,数学是道难以逾越的坎。然而,这似乎又是一门一旦陷进去就会彻底沉迷的学问,比如江户时代就有一位不可思议的“数学宅”,啊,不,其实他是位数学家。宝永5年(1708年)的10月24日就是关孝和的忌日,他一身致力日本独有的数学“和算”的研究,被后人誉为“算圣”。相传,他生来就喜爱数学,从小就埋头阅读《尘劫记》等数学书籍。凭着对数学的热忱,他成为后来继任第六代将军的德川家宣的监察官。家宣担任将军来到江户时,关孝和也在随行人员之中。 先代将軍は悪名高いあの綱吉。 生類憐みの令のあの人ですが、実は他にもお酒に税をかけたり、貨幣を作る段階で金属に混ぜ物をしたりと経済面で暴挙を働いていたのです。新しく将軍になった家宣の急務は、まずこれらの悪政を正して幕府への信頼を取り戻すことでした。その過程でなくてはならないのは経済や数学に強い人材……ということで、孝和にもお声がかかったのでしょう。 家宣的前任正是名声不佳的五代将军纲吉。纲吉不仅颁布了”生类怜悯令“,实际上在经济领域也施行了众多恶政,比如摊派酒税,铸币时混入贱金属等等。因此对走马上任的家宣来说,首先就需要纠正恶政,挽回幕府的威信。在这个过程中,熟悉经济、数学领域的人才就不可或缺了,所以孝和也受到了提拔重用。 孝和はまず家宣のいた甲府周辺の地図を作り、その後新しい暦(カレンダー)を作ろうとしたのですが、他の人に追い越されてしまって完成させることはできませんでした。その代わり、暦を作る過程で円周率が必要になったため、正131072角形という「もう円じゃね?」という図形を使って近似値を割り出しました。この時点で文系には「へー」としか言いようがありません。 孝和首先制作了家宣所在的甲府周边的地图。之后又尝试修订新的历法,但被其他人占了先机,没有最后完成。而另一方面,编制历法的过程中,圆周率是必须要计算的,因此关孝和就用正131072角形这个近似圆的图形,算出了圆面积的近似值。看到这里,文科的孩纸也只有望洋兴叹了。
しかし孝和の本領発揮はここから。中国から伝わっていたのにすっかり忘れ去られていた「天元術」という計算方法を発展させ、「発微算法」(はつびさんほう)というやり方を編み出します。 何か必殺技の名前みたいになってきましたね。ゲームだったら何か召喚できそうです。天元術については孝和以前にも研究した沢口一之という人がいて、本も出ていたのですが、天元術のままでは答えが出せない問題がありました。一之はその15問を巻末に載せ、「俺はできなかったけど誰かやってみろよ!」と書き残していたのです。 发泡酒算数?发微算法 不过,关孝和的本领还在下面呢。中国曾传来了一种算法叫”天元术“,却被忘却无人能解,关孝和完善了“天元术”,还发展出一种新的算法,即“发微算法”。听起来就像是某种必杀技,要是在游戏里多半会召唤出什么吧。在孝和以前也有一个叫泽口一之的人对天元术做过研究,他还著有相关专著,然而有些问题却无法用天元术得到解答。一之便将这15个问题附在了卷末,他写道:“我做不到,就让后人来试试吧!”。 一次方程式が解ける男! これに挑んだのが孝和で、新しい計算式を作るというウルトラCでこの15問を解いたのでした。発微算法とは、簡単に言うと一次方程式のこと。 「6y+5=29」とか、わからない数を文字に置き換えて計算するアレです。今なら中学校で習うことですが、まだこの時代には生み出されて間もない概念でした。 能解答一次方程组的男子 ! 向15个难题发起挑战的正是关孝和,他拿出绝招,提出了新的算术式,将15个问题悉数解答。所谓”发微算法“,简单而言就是一次方程组。比如“6y+5=29”,也就是把未知的数字替换成文字进行计算。现在大家都在中学就学过这个知识了,可是在那个时代却还是刚刚产生不久的概念。
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