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“学生”中日韩三国年龄大不同

作者:佚名 文章来源:沪江 点击数 更新时间:2015-8-31 12:27:04 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

中学生か高校生のころ、区立図書館で自分の身分を用紙に記入する時に、欄にある「学生」を○で囲みながら、何か得意に感じると同時に、後ろめたさのようなものが残った。高校生も「学生」の範疇に含むことが一般にはある。「学生証」を持ち、「学生服」を着ているものの、現実にはまだ大学生ではないことに悔しい思いさえ抱いた覚えがある。


不知是初中还是高中的时候,每在区立图书馆填写自己的身份时,我用“○”圈上栏内的“学生”时,感到一阵得意的同时也不免有些不安。一般来说,高中生也包括在“学生”的范畴内。持有“学生证”,穿着“学生服”,然而实际上却并不是大学生,记得那时还觉得很不甘心。


日本では、教育関係の法令で、幼稚園児は「幼児」、小学生は「児童」、中学・高校生は「生徒」、大学生(高専などを含む)は「学生」と、それぞれに呼称が定められている。明治初期においては、小学生から大学生までを「student」などの訳語として「生徒」と称したこともあった。さらに学制以前に溯れば、種々の教育機関で学ぶ者を「學生」と書いて「ガクショウ」(ガクシヤウ・ガクソウ)と呼んでいた。


在日本,根据教育相关法规,幼儿园的孩子称为“幼児”,小学生称“児童”,初中高中学生称作“生徒”,大学生(包括专科生)称作“学生”,各自都有固定的称呼。作为“student”的翻译词,明治初期也曾经把小学生到大学生的阶段一并称为“生徒”。而再往上追溯学制颁布前的历史,会发现那时把在各类教育机构学习的人都称为“ガクショウ”,写作“學生”。


韓国では、電車内で手持ちぶさたそうなおばさんに、ニコニコしながら「學生(ハクセン)!」と大きな声で呼びかけられたことがあった。初めての外国旅行を友人としていた20歳になったばかりのころのことだが、「学生」だけで人を呼べることに、新鮮な驚きを感じた。日本では、「学生」だけだと落ち着かず、「学生さん!」とか「こら、そこの学生!」のように、何か付けないと使いにくい単語だ。韓国では、漢字語(ハンチャオ)である「学生」は、ハングルで「학생(ハクセン)」としか書かれないようになっているが、その語としては、大学生だけでなく、中・高生はもちろん、小学生に対しても使えるのだそうだ(むろん、「大学生」などの称もある)。


我在韩国遇到过这样的事,一位闲得无聊的大妈笑嘻嘻地大声招呼我“學生(ハクセン)!”。那是我首次海外旅行,和朋友一起,时年20岁,而韩国人仅用“学生”称呼别人的现象,让我既新鲜又惊讶。在日本,“学生”一词总是需要搭配上什么,比如像“学生さん!”、“こら、そこの学生!”等等,单独说“学生”多少会显得不自然。在韩国,汉语词“学生”逐渐变得只能用韩文书写,即“학생(ハクセン)”,而作为一个词语,它不但包括了大学生,还用于指代初中高中生,甚至能用于小学生。(当然也有“大学生”之类的称呼)


中国でも、「学生」(xuesheng シュエション)は、同様に小学生から大学生まで広く使える語である。「学生」が、正式には大学生つまり原則として18歳以上に制限されている日本の現状は、むしろ漢字圏においては特異なことのようだ。


在中国也同样,“学生(xuesheng シュエション)”的适用范围广阔,从小学生乃至大学生都可通用。而日本的“学生”在正式场合指的是大学生,也就是原则上被限制于18岁以上。在汉字圈内,日本的这种情况算是一个特异的存在。


ベトナム(越南)でも、「学生」の語は「hc sinh ホクシン」という漢越語として残っており、対象としてはやはり小学生から使える語だそうだ。しかし、大学生になるやいなや、「生員」(sinh viên シンヴィエン)という語に代わる。これは、中国を模倣して科挙制度が実施されていたことを反映している語である。「院試」に合格して「郷試」の受験資格を得た者は伝統的に「秀才」と讃えられたが、その者たちを指していた。


在越南,“学生”一词作为汉语词“hc sinh ホクシン”残留了下来,和中韩相同,它的适用对象也是从小学生开始的。不过,到了大学生的阶段就会立马用“生员(sinh viên シンヴィエン)”一词代替“学生”。这个词语反映出越南模仿中国推行科举制度的历史。在“院试”中合格,获得“乡试”资格的人传统上被誉为“秀才”,“生员”就是指的这一类人。


以上のような漢字圏の「学生」の実情をまとめると、次のようになる。日本の細分化されたバラエティーの多さと、ベトナムの科挙の影響が際立っていて、それらが重なって、日越では「学生」の処遇に相補分布の様相を呈している。


综合以上汉字圈中“学生”的使用情况,你会发现以下事实:日本的“学生”被细分化,具有多样性,越南则明显受到科举的影响,这些因素重合在一起,使得“学生”一词的使用在日本和越南呈现互补分布的现象。


大学内では、私よりも年配の方々が学生として勉学にいそしむ姿を見かけることがある。見習わなくては、と感じることもしばしばだ。ここのところ、学生と勘違いされることがさすがになくなった。学生時代には持っていたであろう何かをいつの間にか失ってしまったためだとしたら、そう思うと少し複雑な気持ちになる。


在大学里,我见到一些比我高龄却孜孜向学的学生。心里常常会觉得“不学习不行了”。然而到了最近,被误认作学生的情况确实是没遇到过了。那是因为,我在不觉间失去了学生时代曾拥有的某样东西吧,如此一想,心境多少变得复杂起来。






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