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近松门左卫门与“心中物”(中日对照)
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作者:佚名 文章来源:沪江 点击数 更新时间:2015-8-31 13:29:14 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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近松は越前(福井)の武士の家に生まれましたが、父が浪人となり一家で京へ移り、公家に奉公するうちに浄瑠璃作者としての道を歩みはじめました。近松は人間の内面に迫り本質を詩情豊かに描きました。数多くの作品を残しています。歌舞伎もありますが、そのほとんどは人形浄瑠璃(文楽)のために書いたものです。 近松门左卫门诞生于一个越前的武士家庭,而父亲沦为了浪人,一家人迁到了京都居住。近松在公家帮佣期间开始走上了净琉璃作家的道路。近松的作品直指人的内心深处,对人本质的刻画具有浪漫性,也十分丰满。他一生创作了众多作品。其中也不乏歌舞伎作品,不过大多时候,他还是为人形净琉璃(文乐)写作剧本。 当時実際に起こり世間をにぎわした事件を題材にした作品(世話物)を多く手がけています。それらの中でも特に「心中物」は、大ヒットしました。時代は元禄から享保にかけて。物価高騰、貧富の差、幕府の腐敗など、人々がやりきれない思いでいた頃です。世の中のしがらみから逃れるには“死”しかないという主人公たちに、人々は自分を重ねあわせ共感したのでしょう。 近松所着手创作的作品,大多都以在当时引起轰动的真实事件为题材。这类作品中,“心中物”尤其受到好评。时代是元禄到享保年间,这个时期物价高涨、贫富差距拉大,又加上幕府腐败,人们的内心都郁郁不平。近松作品的主人公们为了逃脱社会的束缚,往往走上“赴死”之途,人们或许也在他们的身上看到了自己的内心一面吧。 “日本の演劇におけるリアリズムの確立”という重大な役割を果たした画期的な作品とされる『曾根崎心中』は、元禄16年(1703)に発表されました。近松51歳の時です。浄瑠璃としては最初の世話物で、この作品のヒットにより、浄瑠璃作者としての地位を不動のものにしました。 发表于元禄16年(1703年)的《曾根崎心中》是一部具有划时代意义的作品,在“日本戏剧中现实主义的确立”过程中起到了重大作用。作为净琉璃,《曾根崎心中》也是最早的“世话物(社会剧)”。此时的近松51岁,由于作品获得极大成功,他作为净琉璃作家的地位从此也得到了确立。
《曾根崎心中》讲述一对年轻男女深厚的恋情,平平凡凡生活于市井的老实青年与游女陷入情网,却难以摆脱世间“义理”的拷问,最终两人双双殉情。男主人公酱油铺的代理人德兵卫,和店主叔父的侄女之间本有媒妁之约,然而也对游女阿初许下了赎身的诺言。更不幸的是,德兵卫还被朋友骗走了钱,而这钱是必须还给店主的陪嫁钱。为了求得“责任”与爱情的两不辜负,两人选择了殉情作为唯一的解决办法。 近松作品の中でも最高の傑作と呼び声の高い『心中天網島』は、享保5年(1720)の10月14日の夜明けに起こった事件をもとに創られ、その年の12月に初演されました。世話物としては22編目にあたり、近松が68歳の時、没する4年前の最も老熟した時期の作品です。 《心中天网岛》在近松的作品中声名崛起,被视为最高杰作。作品的创作根据发生于享保5年(1720年)10月14日凌晨的真实事件,并在同一年的12月首次公演。这部“世话物”共有22个章节,创作于近松68岁时,距他辞世仅有4年,此时的近松,已在创作上达到炉火纯青的境界。 紙屋治兵衛をはさむ遊女小春と女房おさんの三角関係を骨子に、複雑な家庭環境などを絡ませ、最後まで義理のために苦しみぬく男女の心を描いています。治兵衛は女房と2人の子供がありながら、遊女小春と心中の約束まで交わす深い仲になります。女房おさんは小春に治兵衛への愛想づかしを頼みますが、小春が一人の死を覚悟していることを察し、治兵衛に小春を身請けさせようとします。この女同士の "誠" と "義理"が、皮肉にも二人を死の道行へ導いてしまいます。 《情死天网岛》以纸屋治兵卫、游女小春、妻子阿赞三人之间的三角关系为主轴,刻画出陷入复杂家庭关系的束缚,一直为“义理”备受煎熬的男女内心。治兵卫与妻子育有2个孩子,然而他又和游女小春相爱,甚至相互许下殉情的承诺。妻子阿赞请求小春放弃治兵卫,小春决定一个人赴死,阿赞察觉后决定让治兵卫为小春赎身。两个女人的“诚”与“义理”讽刺地让两人走向了殉情之路。
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