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丸谷才一 与世长辞(中日对照)

作者:来源 文章来源:沪江日语 点击数 更新时间:2015-9-1 9:57:22 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

本音を語って、誰も傷つけない。87歳で亡くなった丸谷才一(まるや・さいいち)さんはスピーチも名人で、それだけをまとめた本がある。悪口を一つ入れたら十か二十ほめるそうだ。ただし、作中の風刺に迷いはなかった。


吐露真言,不伤他人。87岁高龄辞世的丸谷才一先生在演讲方面也堪称名人,并著有一册有关此道的读本。据说,倘若稍有微辞,必将附上一、二十句的溢美褒奖。不过,对于作品中的讽刺则丝毫不含糊。


代表作『女ざかり』の主人公は大手紙の女性論説委員。早々に「新聞の論説は読まれることまことにすくなく、一説によると全国の論説委員を合計した数しか読者がゐないといふ」の一節がある。当方、新刊では噴き出したが、論説に身を置く今は戒めの言葉でもある。


代表作“妙龄女”中的主人公是一家大型报社的女社论撰稿委员,作品在开场不久,便有一段早早地直截了当叙述道,“报纸的社论还真的很少阅读,有一种说法认为,读者也就只有全国社论撰稿委员合计人数那么多”。本人在读到这本新书的此处时,忍不住大笑不止,可到了置身于社论撰稿工作的今天,这番话也就成了我的醒世警句了。


洒落たユーモア、博識を駆使して随筆、評論、翻訳と広く手がけた。「日本文学の中心には和歌があり、その中心は天皇の恋歌(こいか)」と説く。独特の旧仮名遣いも、40年前の歌論『後鳥羽院(ごとばいん)』から始まった。


洒脱且不乏幽默,博学并多识的随笔、评论以及翻译,可谓涉猎甚广。他曾经说,“日本文学的中心,有和歌这一形式,而和歌的中心则是天皇的恋歌”。独特的旧假名使用法也是从40年前他的那部歌论《后鸟羽院》开始的。


引用が旧仮名、他は新仮名という使い分けが面倒で、旧に統一してみたら筆が進む。「後鳥羽院と僕が一つの文明の中で結びつく感じが迫ってきて、いい気持ちだったんです」と、対談で山口瞳さんに明かしている。


在撰写过程中,他突发奇想,觉得引用处使用旧假名,其他部分使用新假名,如此区分使用太过麻烦,倒不如全部归到旧假名岂不更好?在同山口瞳先生的对谈节目中,他曾明确表示说,“我深切地感觉到后鸟羽院和我就好像是在同一个文明体内结合了起来,那种感觉真是太妙了!”


文学賞の選考委員として、早くから村上春樹さんを推していたこともよく知られる。「必ずスゴイことになる」と。その人は芥川賞を飛び越し、ノーベル文学賞に擬せられる。我が意を得たりだろう。


众所周知,作为文学奖的评委,他从很早就开始力挺村上春树先生,认为村上“必成大器”。果然,此人越过芥川奖这一台阶,直奔诺贝尔文学奖候选之列。这恐怕正合其意吧。


かねて「文学者の生涯は、最初から余生を生きているようなもの」と達観していた。昨年の文化勲章にも気負うことなく、「学問も芸術も面白がることが大事です」。世の中を面白がり、それ以上に面白がらせ、長くも濃密な「余生」を完結させた。


他还非常达观开朗,曾经说“文学家的生涯,好像从一开始就是在安度余生”。对于去年获得的文化勋章一事也并未兴奋不已,他说,“学问也好,艺术也罢,感受其中乐趣是最重要的”。感受人世间的乐趣,并让他人更进一步感受其中之趣,长久以来,直到如今,他已经完成了其深厚绵密的“余生”。





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