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无腿飞人 奥运英雄(中日对照)

作者:来源 文章来源:沪江日语 点击数 更新时间:2015-9-1 11:25:42 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

1960年のローマ五輪、マラソンはエチオピアの無名選手アベベ・ビキラが制した。裸足で走り切った逸話が残る。アベベは東京で連覇を果たし、異色ではなく偉業でオリンピック史に刻まれた。


1960年罗马奥运会上,名不见经传的埃塞俄比亚运动员阿贝贝•比基拉摘取了马拉松的桂冠,并留下了赤脚跑完全程的佳话。4年后,阿贝贝又在东京奥运会上成功卫冕,将其超越特色的伟业镌刻在了奥林匹克的历史上。


ロンドンでも「裸足」が注目されている。義足ランナーとして初めて五輪に参加し、400メートルに出た南アフリカのオスカー・ピストリウス選手(25)だ。準決勝で敗れはしたが、同走の選手が敬意の印にゼッケンの交換を求めてきた。9日にはリレーを走る。


在伦敦奥运会上也出现了一双令人注目的“裸腿”,他就是第一位参加奥运会的假肢径赛选手,南非的奥斯卡•比斯特柳斯(Oscar Leonard Carl Pistorius,25岁),参赛项目是400米跑,虽然在半决赛中败下阵来,但是同跑的运动员为了向他表示敬意,要求与他交换号码布。另外,他还将于 9日参加一场接力赛。


両すねの骨を欠いて生まれ、程なく膝から下を切断した。「私の義足は靴と同じ」。10代から短距離を磨き、北京パラリンピックでは敵なし。その走りに、工業デザイナーの山中俊治(しゅんじ)慶大教授は「究極の機能美」を感じた。


因为他生下来时就缺少两侧的小腿骨,所以过不久便切除了膝盖以下部位。“我的假肢就和鞋一样”,他从10多岁就开始进行短跑训练,在北京残奥会上所向无敌。工业设计师庆应大学教授山中俊治先生感叹说,从他奔跑的姿势上感受到了一种“极致的功能美”。


「ブレード(板ばね)の弾力を巧みに使って送りだされる高速の足元は、その薄さゆえに走行中はほとんど映像から消えてしまう。飛んでいるようにさえ見えた」と、近著『カーボン・アスリート』(白水社)にある。


在他最近出版的著作《碳素钢假肢运动员(carbon athlete)》(白水社出版)中描述说,“巧妙地利用脚板所发出的弹力快速驱动着双腿,由于脚板甚薄,因此跑动中它的影象几乎消失,看上去像在飞一样。”


肉体との一体感は猛練習のたまものだろう。称賛の一方で、義足は加速装置ではないのか、といった批判もくすぶる。「道具によるドーピング」の声に抗し、彼は出場規定のハードルを幾つも越えてきた。たどり着いたのがロンドンだ。


与肉身融为一体的感觉想必是大运动量训练的结果吧。除了称赞之外,也传出了一些批评意见。称这假肢是不是成了一种加速器了啊?为了抗衡“器具性违规”的舆论压力,他已经跨过了多个有关出场规定的障碍,并最终跑进了伦敦奥运会。


10年前に亡くなった母親の言葉がいい。「オスカー、敗者とは最後にゴールする人じゃない。はなから出場を諦めちゃう人を言うんだよ」。五輪スタジアムを包む喝采は、なるほど、勝者に向けた響きである。


10前去世的母亲说过一句很重要的话,“奥斯卡,失败者并不是指最后一个跑到终点的人,而说的是从一开始就放弃上场参赛的人”。奥运会主赛场传来的暴风雨般的喝彩声确实都是送给胜利者的褒奖。




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