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盛夏酷暑 有凉好爽(中日对照)

作者:来源 文章来源:沪江日语 点击数 更新时间:2015-9-1 14:50:08 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

いまの季節、暑中見舞いのはがきが職場に自宅にちらほら届く。賀状はたいてい印刷だが夏の便りは手書きが多く、読んではなごむ。わんぱく仲間だった幼なじみが、いつもながらの暑苦しい字で「涼風献上」と書いてよこしたりする。


现在这个季节,暑期问候的明信片陆陆续续地寄到了工作单位以及个人家里。贺年卡十有八九请人印刷的居多,而夏季的问候卡则多为手书,读来也倍觉温馨亲切。孩提时代的那些玩伴发小往往以一种被暑热搞得晕头转向的字体,写上“凉风献上”四个字寄过来。


漢字の文化はありがたいもので、「涼」の字を眺めるだけで、ふっと体感温度が下がる気になる。梅干しを見ると唾(つば)がわくのと同じ作用だろうか。納涼、涼気、夕涼み……この一字がなかったら、日本の夏はもっと暑いに違いない。


汉字文化真是个难得的宝贝,仅仅是看上一眼这个“凉”字,就仿佛觉得体感温度一下子降了下来。不知道是不是和一看到腌梅干就会满嘴冒酸水是同一作用的结果。纳凉、凉气、乘凉……,倘若缺少了这个字的话,日本的盛夏注定将更加炎热。


「涼味数題」という随筆を、物理学者の寺田寅彦が書いていた。「涼しさは瞬間の感覚である。持続すれば寒さに変わってしまう」と、言い得て妙だ。日本人の五感はかつて、ささやかな涼にずいぶん敏感だったらしい。


一篇题为“凉味数题”的随笔出自于物理学家寺田寅彦之手,他说,“凉爽度是瞬间的一种感觉,如果持续时间较长的话,就会转变为寒冷”,经他如此一点拨还觉得所言甚妙。日本人的五感曾经对于凉爽感觉特别敏锐。


体ひとつで暑気に耐えるしかなかった時代である。涼を感じるセンスしだいで、夏は楽にも苦にもなったろう。ひるがえって今、スイッチひとつで人工冷気が部屋に満ちる。ありがたいが、そのぶん人の五感は鈍りがちだ。


在那只能依靠自己的身体忍受暑热的时代,根据对于凉爽度的不同感受,整个夏天可以是快乐无比的,也可以是艰难困苦的。回过头来再看看现在,一个按钮开关人造冷气便能充满整个房间。虽然是求之不得,但同时也使得人们的五感相应变得迟钝了起来。


〈一匙(ひとさじ)のアイスクリムや蘇る〉の一句が子規にある。時は移っても、一瞬の涼に生き返るような心地が、暑い夏の幸福感なのは変わらない。炎暑に縁取られてこそ「涼」の字は冴える。


子规有一首俳句,<一匙冰糕透心凉,神清气静浑身爽>。由于一瞬间的凉爽而神志恢复清醒的感觉堪称盛夏酷暑期间的莫大幸福,这一点即便是斗转星移时光流逝也未能改变。在炎热酷暑的映衬之下,“凉”这个字折射出了它的冷峻。


そろそろ夏休みという人もおられよう。寅彦先生はこうも言う。「義理人情の着物を脱ぎすて、毀誉褒貶の圏外へ飛び出せば、この世は涼しいにちがいない」。処世の術を忘れ、「いい人」をやめて、風に吹かれるにかぎる。遠くを眺めながら。


或许已经有人在感叹暑假脚步匆匆行将结束了吧,寅彦先生也说过这样的话,“如果脱下了理义人情的外衣,跳出了毁誉褒贬的圈外,这个社会肯定凉爽”。最高境界莫过于忘却处世技巧,不再充当“好人”,任凭凉风徐徐的环境,再加上可供极目远眺的美景。




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