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细说日本包装文化(中日对照)

作者:来源 文章来源:沪江日语 点击数 更新时间:2015-9-2 13:35:13 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

ギフトの仕事に携わっていると、必ず出くわすのが、包む(ラッピング)です。自分でやってみると意外に面倒で、上手くいかない。


从事礼品行业不可避免地会接触包装工作。这种事情亲自尝试后会发现其实挺麻烦的,做起来也不容易上手。


手仕事。日本文化は包む文化


手艺活。日本文化是包装文化


だからという訳じゃないけど。最近じゃ、過剰包装を環境問題として、御中元やらお歳暮には、簡易包装が用いられます。手渡しのお祝いとか、手土産とか、誕生日の贈り物も、「簡易包装」じゃちょっと“失礼”な気持ちになるのは何故でしょうか?化粧風呂敷とか、ふくさとか、中身をちょいと包んだ物から取り出す。日本には、昔から、そういった文化、風習があります。これは、単に包装するというものとは、違う気がするのですが…。「包む」とか「結ぶ」ということは、相手を「思いやる」「もてなす」気持ちの表現でもある。


虽然并没有什么因果关系,但近来,过度包装成为一种环境问题后,中元节以及年末礼品都采用了简易包装。亲手奉上的贺礼、随手礼以及生日礼物若也是如此的话,便让人觉得有些失礼,这是为什么呢?化妆包袱皮、或者小方绸巾,人们从稍稍一包的袋囊中取出东西——日本自古以来就有这样的文化习俗。但我总觉得这并不单单只是包装这么简单……“包装”以及“系带”都是给予对方的一点体贴、一种情意。


ヨーロッパのラッピング


欧洲的包装


ギフト業界でも、ヨーロッパから、美しい紙が輸入され、さぞかしラッピングの技術があるのだろうと思うのだが、実は、ラッピングに関しては、文化的(?)に、日本人が優れていたらしい。この‘らしい’が少々悲しいのだが…。ある人がいうには、ヨーロッパでも、美しい紙で包んで、華やかな紐をかけることもあるのだが、案外これが苦手で、とりわけ紐を上手にくくるのは、不慣れらしい。


在礼品业界,很多漂亮的包装纸从欧洲输入日本,人们恐怕会觉得欧洲有一定的包装技术,实际上在这方面,从文化层面(?)来看,日本人似乎更在行。虽然这个“似乎”听起来有点感伤……有人这样说,欧洲也有用漂亮的纸包好,绑上华丽丝带的时候,但其实他们不太擅长,特别在绑带子方面,似乎不是很熟练。



日本文化の風呂敷


日本文化中的包袱皮


作家の幸田文は、大正ごろの東京の菓子屋などに行けば、 「何をお包みしましょうか?」という言い方があったと書き残している。暖簾(のれん)をくぐって出てくる、日本髪のおかみさんからそう言われ、選んだ菓子は、経木をお濡布巾でキュッとふいて盛り込み、白いかけ紙で、ふわっとくるんでくれる。それを風呂敷に入れて、ささげるようにしてもって帰った(『包む』講談社文庫)。


作者幸田文曾留下这样一段话,说去大正时期的东京点心铺这些地方,会听到“您要包点什么呢?”这样的说法。盘着日本传统发髻的老板娘从帘子后面走出,向着客人这样询问一句,接着用湿布将和纸拭净,盛上点心后用白色礼签轻轻绑好递上。客人接过后将其放入包袱皮,捧着回家了(《包》讲谈社文库)。


日本文化の風呂敷と似たような物は、世界中にあるだろうけど、用途まで同じようなのは珍しいはずだ。タペストリー代わりに、壁に貼り付けていたのは良く聞く。日本のように“包む事”にこれだけこだわる文化は、そう無いんじゃないかな。


虽然世界各地都有类似日本文化中的包袱皮这样的东西,但用途也一样的应该很少见。代替挂毯装饰在墙上的倒是经常听说。像日本这样如此重视“包装”文化的恐怕不多吧。



和服だって、考えてみりゃ、身を包むようにして着るじゃないか。この関連は面白い。洋服は、発想からしても「袋」のようで、ズボンでもスカートでも、足を袋に入れるようにつっこんではくのに、着物は腰を包むようにして身にまとう。


仔细想想,就连和服都是包裹着身体那样去穿的不是么?这关联很有意思。西式服装从构思来看正如袋子一般,不管是裤子还是裙子都如同将脚放入袋子一般去穿,而和服则是将腰包住,把其裹在身上。


現在、過剰包装が、資源の無駄遣いや、環境の社会問題として取り上げられても、なかなか変えられないのは、文化的な原因があるのだろうか…。


即便如今过剩包装被当作资源浪费、社会环境问题去说,但出于文化原因,一时也很难改变吧……




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