金大中?元韓国大統領死去 拉致、日韓史に影(2)「韓国のために力を尽くした人だった」「早過ぎる死だ」--
金氏は73年8月8日、東京都千代田区のホテル?グランドパレスから拉致され、5日後の13日にソウルの自宅付近で解放された。
警視庁公安部は麹町署に「金大中氏拉致監禁事件特別捜査本部」を設置。拉致現場から在日韓国大使館員の金東雲(キムドンウン)1等書記官の指紋を発見し同9月、韓国に帰国していた金元書記官の出頭を要請したが、韓国側は外交慣例を理由に拒否した。
だが、同11月、来日した金鍾泌(キムジョンピル)首相が、金元書記官の関与を認め当時の田中角栄首相に謝罪。75年7月には、日本政府が事件は最終決着したと表明するという2度の政治決着が図られた。
古野さんは最初の政治決着直後の73年11月、金氏を旧自宅で取材。盗聴を警戒し、ラジオを大音量で流しながら話を聞いた。「日本政府や田中(首相=当時)さん、大平(正芳外相=同)さんの取った処置は政治家として理解できる。しかし、人の命に対する温かみを持ってくれなかったのだろうかと考える」。金氏がそう話した内容を書き取ったメモが今も手元に残る。
韩国原总统金大中去世之一 绑架对韩日历史的影响(2)“为了韩国鞠躬尽瘁”“过早地离开了我们”——
金氏73年8月8日在东京都千代田区的大皇宫饭店被绑架,5天后也就是13日,在首尔自己的住宅附近被释放。
警视厅公安部在麹町署设置了“金大中绑架监禁事件特别搜查本部”。在绑架现场发现了驻日韩国大使馆首席书记官金东云的指纹,同年9月,日方要求已回韩国的金元书记官出面,但是韩方以外交条例为由拒绝了。
然而,在同年11月,来日的金钟泌总统承认金元书记官参与了当年的绑架事件,并向当时的首相田中角荣赔罪。75年7月,日本政府宣布事件已经解决,这是第2次采取政治的解决方法。
古野在最初政治解决后的73年11月,到金氏的旧家取材。为了防止窃听,在谈话时将收音机的音量提高。“日本政府和田中(当时首相)、太平(当时的正芳外交官)采取的解决方式是政治家的方法,这是可以理解的。但是这是人命的问题,这样做未免太残忍了。”金氏将自己说的这些话记录下来,至今还保存着这份手记。
出处
http://mainichi.jp/select/world/news/20090819ddm041030143000c.html