日本人は欧米人に比べて、曖昧な言葉を好むといわれている。特に契約の絡む場では避けるべきだと思われているにもかかわらず、曖昧な表現が飛び交うビジネスシーンは少なくない。なぜだろうか。
众所周知,日本人和欧美人相比,更喜欢用暧昧的说辞。特别是在和合同紧密相关的一些场合,本该避开使用暧昧语却仍然通过暧昧语来进行商务商谈的情况不在少数。这是为什么呢?
■使いわけが大事
■重要的是分开使用
もっとも多かったのは、「基本はっきり言うタイプですが、そればかりでは周りとうまくいかないから曖昧にする時もある」(浅井長政さん)、「使い分けは必要だと思うね。曖昧にするより、はっきり言った方がよい場合もあると思うよ」(サム蔵さん)といった回答。曖昧な表現とはっきりした表現を、時と場合によって使いわけている人が多いようだ。
最多的是“基本是明确表达的类型,但是仅仅这样不能很好的和周围打交道,所以有时候会用暧昧的用法”(浅井长政)、“有必要是分开使用。比起用暧昧说辞,也有一些场合是明确表达为好的”(サム蔵)这些答案。大多数人认为暧昧的表达和明确的表达是根据时间和情况不同来分开使用的。
しかし「優柔不断だから、曖昧な表現しちゃうなー」(nahooさん)や「曖昧な表現を使いがち……かな」(おしお氏さん)といった声も。やはり表現をにごしてしまうこともある様子。
但是也有“正是因为优柔寡断才会用暧昧的表达”(nahoo)和“容易就使用暧昧的表达”(おしお氏)的想法。果然也有含糊表达的倾向。
■曖昧表現は日本人の知恵
■暧昧表现是日本人的智慧
どうして日本人は、曖昧な表現を好んで使ってしまうのだろうか。心理学者の内藤誼人先生に聞いた。
为什么日本人这么喜欢使用暧昧的表达呢?咨询了心理学者内藤谊人老师。
「簡単にいえば、これは日本人の知恵なのです」(内藤先生)
“简单的说,这是日本人的智慧”(内藤老师)
一体どういうことなのだろうか。
到底是怎么一回事呢。
「明確な発言をすると、責任がついてまわりますよね。昔から日本人は、責任の所在を分散させて、問題が起きたときに誰か1人が責めを負うことがないよう配慮してきたのです」(内藤先生)
“如果进行了明确的发言的话,就要承担责任了。从前日本人是把责任分散开,考虑到当问题发生时不让一个人全部担责任这样”(内藤老师)
曖昧な表現を用いることで、人間関係の円満さを保ってきたようだ。では一時期流行した「……みたいな」や「……的な」という表現も、同じ心理によるものなのだろうか。
使用暧昧的表达是为了圆满处理人际关系。那么流行过一段时间的“……みたいな”“……的な”的表达方式也是差不多的心理吧。
「その通りです。責任を分散させることは自分に責任が及ばないようにすることでもあります。日本人の昔からの習慣が、日常会話に現れてしまうのでしょうね」(内藤先生)
“正如上文所说。分散责任也是意味着自己不用担负责任。日本人这种从前养成的习惯会在日常对话中表现出来”(内藤老师)
長い時間をかけて築かれてきた日本人の習慣が、現在でも会話のなかで息づいているとは。スケールの大きな話だ。
日本人经过长时间养成的习惯在现在的会话中也能体会到的,所谓大范围的对话。
「日本人が曖昧な表現を好むもう1つの理由に、相手との議論を避けたいという心理があります。議論をすると勝敗がついてしまいますよね。それでは周囲の人とのあいだに、摩擦が生まれてしまうかもしれません。そこであえてぼやけた表現を使うことで、他人との議論を避けてきたのでしょう。日本人に議論を避ける傾向があることは、日米の比較テストでも証明されています」(内藤先生)
“日本人喜欢暧昧的表达还有一个理由,那就是避免和对方争辩这种心理。争辩的话就会关系胜负。这样的话和周围人可能会发生摩擦。如果使用含糊的表达,就能避开其他人的争辩。日本人避免争辩的倾向也在日美比较试验中得到了证明”(内藤老师)
日本人が曖昧な表現を好む2つの理由。それは、他人と協調して生活することを重要視した結果身についたものなのだろう。
日本人喜欢暧昧表达的两个理由是掌握了重视和他人和谐共处的生活方式吧。
最近では批判されることも多い曖昧な表現。だがそれも、日本人の知恵によって生まれたものなのだとしたら、必ずしも悪いものではないのかもしれない。
最近被批判多次的暧昧表达,其实也是日本人智慧的结晶。这样想的话,这种暧昧表达也不是不好吧。