地球が球形なのは誰でも知っている。それを踏まえて、自分の目で見て一番遠いところにあるものは何か?答えは自分の背中だという。地球一周4万キロのかなた。むろん冗談だが一端の真理はある。自分の「背中」ほど見えにくいものはない。
谁都知道地球是球形的。基于此,那么试问用自己的眼睛所看到的最远处的东西是什么呢?据说,答案是自己的后背,即地球一周4万公里的那一侧。当然这只不过是个玩笑,但也显示了另一极端的真理。没有比自己的“后背”更不容易看到的地方了。
背中とは、その人の無意識がただよっているような、不思議な場所だ。きょうが没して50年の作家吉川英治に「背中哲学」という随筆があって、「どんなに豪快に笑い、磊落を装っていても、その背中を見ると、安心があるかないかわかる気がする」と書いている。
所谓后背,是一个人的飘荡着无意识,不可思议的地方。今天,去世50年的已故作家吉川英治有一篇“后背哲学”的随笔,文中写到,“无论你装出多么豪爽的大笑和磊落,当看到你的后背时,就觉得可以从中判断出到底有没有安心感。”
顔と背中が、二つの仮面を合わせたように違う人もいるという。正面は取り繕(つくろ)えるが裏は隠せないものらしい。「宮本武蔵」や「新・平家物語」などを世に送り、大衆小説を国民文学にまで高めた大作家は、さすがに人間通だ。
据说,也有的人面孔和后背就像是面对着两个面具,感觉完全不同。正面还可以收拾伪装,可背面则无法隐藏的。到底是将“宫本武藏”以及“新•平家物语”等送到世间,将大众小说提高到国民文学高度的大作家,深知人的本性。
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持たねばならない」はリンカーンだが、「顔」は「背中」にも置き換えられよう。目標にしたい後ろ姿が職場にあれば若手は育つ。子は親の顔色をうかがうが、背中は黙って見ているものだ。
林肯说,“过了40岁之后,必须要对自己的面孔负责任”。其实“面孔”也是可以换到“后背”的位置上的。打算认作目标的背影如果总出现在工作场所,这很有利于年轻人的成长。儿童虽然看着父母的脸色行事,可是对他们的后背也是默默地关注着的。
東京・下町の銭湯で半世紀、お客の背中を流してきた人が、3年前に本紙にこう話していた。「黙って苦労を語っているような背中ってあるんだ。ごくろうさん、て声をかけたくなるよね」
在东京贫民区的澡堂子干了半个世纪,给各种各样的人搓洗过后背的搓澡工在接受本报采访时说过这样的话,“有的人的后背虽然默默无语却像是在诉说着主人的辛劳。对于这样的人,真想对他说一句,您辛苦了!”
さて、世間を眺めれば、「選挙の顔」選びに政界が騒がしい。見てくれに惑わされず、どの人、どの政党の背中が偽りないかを見極めたいものだ。昭和の文豪の慧眼にあやかりながら。
那么,再来看看现实社会,因为“参选面孔”的选择,政界一片喧哗。我们不要被展现的外表所迷惑,要效仿昭和时代大文豪的慧眼仔细地分辨,什么人,什么政党的后背上,有没有什么虚假伪装。