夏のオリンピックは閏年(うるうどし)にめぐり、どの大会を最初に記憶しているかで世代がわかる。筆者の場合は東京五輪で、白黒テレビにかじりついた。その五輪が残していった流行語「ウルトラC」はすっかり定着し、辞書にも収まっている。
夏季奥运会总是遇上闰年,记忆中最初的那次是哪一届呢?每一代人都有其不同的答案。笔者记得的最初那一次是东京奥运会,那时候成天就是死死地盯着那台黑白电视机。那一届奥运会留下的流行语是“C级以上难度(ultra)”,并且已经被固定了下来收录进了辞典。
地元開催に向けて、日本の体操男子がひそかに開発していた技(わざ)を、そう呼んだのが始まりらしい。当時の難易度はA、B、Cのみで、最難のCを超える究極の大技を意味した。以来48年、いまや技はD、E、FはおろかGにまで進化した。繰り出される超絶美技にメタボ世代は感嘆するほかない。
人们采用这一称谓来表示结合当地举办的重要性,日本体操男选手悄悄地开发出的技术,这就是该词汇的初始。当时的难易度只有A、B、C级,这一称谓意 味着超过最难的C级的顶级超难技巧。从那以来过了48年,现如今的技巧已经发展到了D、E、F级,甚至是G级。对于他们所表现出的美轮美奂的技巧,现在的这些往往患有代谢综合症的一代人只能是望而兴叹了。
そのG線上で競われた男子の個人総合を、内村航平選手(23)が制した。かつてはお家芸だった体操だが、その王者とも言うべきこの金メダルはロス五輪の具志堅幸司さん以来28年ぶりという。
体操运动员内村航平摘得了这场竞争于G级难度以上的男子个人全能比赛的桂冠。尽管体操曾经是他们家传的技能,可是称得上此道王者的这枚金牌,是自洛杉矶奥运会上具志坚幸司先生获此殊荣以来,已经又过了28个年头。
北京では個人総合で銀だった。「まだ色が違うので(伝統を)継げたとは思っていない。4年後、ロンドンでの課題です」と内村語録に残る。言葉どおりの見事な「お色直し」は、長い空白を埋める栄冠になった。
在北京举办的那届奥运会上他只获得了个人全能的银牌,当时曾留下过这么一段铿锵有力的话语,“因为颜色不一样,所以我不认为已经继承了(传统)。因 此,4年后伦敦奥运会上将如何表现,正是我要认真对待的课题!”正如他所说的那样,成功地“变色”成了填补这一段漫长空白的荣耀桂冠。
金メダルには、文字どおりの「勝者」に与えられる光輝がある。もちろん銀も銅も素晴らしい。だが勝負の実質となると、1人の勝者と、多くの敗者である。内村選手の金は、それを印象づけるゆるぎない強さが光っていた。
金牌之中的确含有给予“胜者”以字面所述的光辉。当然,银牌和铜牌也很优秀,但是从胜负的实质来看,仍然形成了1人为胜者,而其他多个为败者的格局。运动员内村所获得的这枚金牌不仅闪耀着不可撼动之强大的光芒,而且还将这一切深深地印刻在了人们的心目之中。
ロンドンでは連日、研ぎ澄まされた肉体と精神が躍動している。4年に一度だけ出現する夢舞台で、勝者は輝き、力を尽くした敗者もまた美しい。真剣勝負が、見る者を熱くする。
在伦敦,连日来经受了磨练的肉体和灵魂都异常活跃。在这个4年只出现一次的实现梦想的大舞台上,胜者熠熠生辉,竭尽全力的败者亦美丽感人。认真投入的胜负之争使得观战者热血沸腾。