夏目漱石の「坊っちゃん」は教師で赴任した四国・松山の地を随分こき下ろす。ある日、宿直の部屋が西日で暑くてたまらない。「田舎だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ」。悪態をつく江戸っ子の坊っちゃんだが、昨今の東京の残暑を知れば考えも変わろう。
夏目漱石的“少爷”特别瞧不起作为教师前往任教的四国松山当地。有一天,西晒的太阳把个值班室弄得酷热难耐,惹得这位少爷抱怨说,“乡下就是乡下,即使到了秋天,还得耐心地受着酷热的煎熬。”出言不逊的江户油子小少爷,倘若经历了当今东京的秋老虎的话或许会改变看法。
列島の秋暑(しゅうしょ)は厳しく、東京も暑い。きのう仰いだ空は、まだ夏休みの絵日記のような雲を残していた。さすがに朝夕は涼気を含んできたが、日中(ひなか)に歩けば陰がうれしい。街のあちこちに、なお日傘の花が咲く。
列岛的秋暑可是厉害,东京也热得要命。昨天,抬头仰望着天空,看到了还残留有暑假漫画日记般的云彩。尽管早晚已经凉气袭人,可是在大太阳底下行走的话,真想在树荫下歇一会儿。街头巷尾仍能够看到人们打着的宛如盛开鲜花般的遮阳伞。
今ごろの日傘は「秋日傘」という季語になっている。〈秋日傘別れの余情折りたたむ〉中村恭子。夏を見送った一抹の寂しさが言葉にある。だが、この残暑の下、日傘は真夏と変わらぬ活躍だ。秋の足を止めて晩夏が居座っている。
当前的遮阳伞被称为“秋日伞”,是一个季语。<告别秋日伞,折起趣余情>中村恭子作。字里行间渗透着送别盛夏后所留下的一抹孤寂。在此残暑酷热之下,遮阳伞仍然异常活跃,与盛夏期间并无二致。秋天的脚步举步维艰,而晚夏却迟迟不愿离去。
せめて秋らしい気分をと、花屋で芒(すすき)と吾亦紅を買い求めた。大きな花瓶に投げ込むと効果はてきめんで、たちまち部屋に秋がきた。月がほしいところだが今夜は新月。この月が満ちていって中秋の名月になる。
心里老琢磨着,说什么也得搞出点像样的秋天气氛,所以,便来到花店求购芒草和地榆(Great Burnet)。把它们装饰在大口花瓶里,效果立竿见影,立刻房间里便洋溢着秋天的气息。虽然也想要有个当空的皓月,可今夜能看到的只是新月。当它成为满月时便就是中秋明月了。
目を転じれば、猛烈な台風16号が沖縄付近を通過している。近年は海水温が上がって勢力が衰えず、発生から消えるまでの「寿命」が延びているという。九州地方も厳重な警戒がいる。
一转眼,猛烈的16号台风正在通过冲绳附近的海域。据说,由于近年来的海水温度上升,其势力不易衰减,从发生到消失的“寿命”有所延长。九州地区也还是需要高度警惕。
漱石に「二百十日」という中編があって、2人の男が風雨をついて阿蘇に登山して散々な目に遭う。その阿蘇のあたりは、今年7月の九州北部豪雨で大きな痛手を負った。早めの備えで守りを固め、少しの被害もなしに台風を去らせたい。
漱石先生还有一部题为“二百十天”的中篇小说,说的是有2名男子冒着风雨攀登阿苏山,历尽了艰险。就在这阿苏一带,由于今年7月九州北部的大暴雨而遭到了沉重的天灾。希望能够尽早做好准备,加强保护,在丝毫不造成灾害的情况下击退台风。