丘を埋めるオリーブの灰緑色が、乾いた風にうねる。単調だが豊かな風景である。トルコの西半分を急ぎ足で回ってきた。先々での親日ぶりは、ガイドさんによると、学校で「エルトゥールル号の遭難」を教わるからだという。
长满山坡的橄榄树(Olea europaea)呈现出一片灰绿的色彩,随着干爽的秋风摇曳,虽然单调倒也是一派丰饶的景色。急匆匆地走遍了土耳其的西半部,所到之处亲日情结感人至深,据导游介绍说,这是因为在学校都要学习“埃尔图鲁尔号 (Ertuğrul Fırkateyni 护卫舰)蒙难记”的结果。
あすで122年になる。明治半ば、当時のオスマン帝国の軍艦が、紀伊半島沖で台風のため沈んだ。500人以上が亡くなったが、69人が日本艦で国に帰り、沿岸漁民による温かい救護ぶりを伝えた。
到明天,事件发生已有122年。明治中期,当时的奥斯曼帝国的军舰在纪伊半岛海面因遭遇台风而沉没。尽管死亡人数超过500人,但是仍有69人乘坐日本军舰返回故国,并且将沿岸渔民鼎力救助的人间温情传颂到了异国他乡。
かの国の人々は、続く日露戦争の結果にも熱狂する。日本同様、ロシアの南下圧力を受けていたためだ。友好は経済援助などを通じて続き、イラン・イラク戦争の際には、在テヘランの日本人がトルコ航空機で救出された。
这个国家的人民又因为接下来的日俄战争的结果而狂热不已。日本也一样,因为遭受着俄罗斯南下的压力,相互间的友好关系通过经济援助才得以延续。两伊战争时期,驻德黑兰的日本人也曾经被土耳其飞机成功救出。
両国はしかし、8年後の五輪開催を競い合う。日本の招致委によれば、東京での開催支持はロンドン五輪を経て66%に上昇した。ただ、5回目の立候補となるイスタンブールのそれはまだ高い。アジアと欧州を結ぶ文明の十字路、イスラム圏で初と、話題性もある。
然而,两国却因为8年后举办奥运会而相互竞争。据日本奥申委称,经过伦敦奥运会后,支持在东京举办的人数已经上升至66%,只是第5次申办的伊斯坦布尔的支持率仍然很高。出现连接亚欧的文明交叉路口前的徘徊,这在伊斯兰圈还是第一次,因此是一个极具有代表性的话题。
約7500万人の国民は大半がイスラム教徒ながら、宗教と政治は一線を画し、世情は穏やかだ。それゆえ中東の「安定装置」を期待され、外国からの投資と経済成長が続く。
尽管大约7500万的国民中绝大部分是伊斯兰教徒,但是由于宗教与政治结合融洽,社会状况非常稳定。正因为这个原因而广受期待,被誉为中东的“稳定器”,来自国外的投资和经济增长持续发展。
高層ビルが日々増えるイスタンブールの街は、道路網が追いつかず、交通渋滞がひどい。クラクションの喧噪、バザールの混沌に、昭和30年代の東京が重なった。1年を切った開催地選びは、成熟と活力の綱引きになろう。なかなかの強敵、である。
高层建筑日益增加的伊斯坦布尔街道却因路网建设跟不上而造成交通阻塞严重。从汽车喇叭的喧嚣,露天市场的混乱现象中折射出了昭和30(1955)年代东京市况的影子。有关举办地的选择已经不到1年时间,看来成熟与活力将成为相互间角力的主打牌。这是一个不容小觑的劲敌。