近ごろの若い者は、に続けて「東郷平八郎と東条英機の区別もつかない」などと嘆かれた覚えが筆者の世代にある。戦争への無知と風化は、そのころから心配されていた。いまや先の戦争はむろん、冷戦時代を知らない世代が大人になりつつある。
近来的年轻人呐!紧接着便哀叹道,“连东乡平八郎和东条英机都分不清。”在笔者的同龄人中还真有不少记得有此经历者。从那时候开始,对于战争的无知和淡忘令我忧心忡忡。现如今,不用说先前的那场战争了,即便是冷战时代的事情也知之甚少的这一代人正在长大成人。
時はただ過ぎに過ぎる。戦争を伝え継ぐ難しさをあらためて思う夏、『孫たちへの証言』という戦争体験集を今年も送っていただいた。前にも書いたが大阪で毎年刊行され、この夏で第25集をかぞえる。
时间如流水般地不断逝去,就在又一次能深切感受到传承战争教训之艰难的今夏,我收到了一部题为《留给子孙的证言》的战争经历集。此前也曾谈到过,在大阪每年都要发行一部这样的专集,到今年夏天已经出版了25集。
出版社を営む福山琢磨(たくま)さん(78)が損得抜きで編集してきた。毎年、全国から原稿を募集して丹念に目を通す。掲載候補を選び、一つひとつ、手紙や電話で問い合わせて筆を入れていく。頭の下がる根気仕事だ。
出版社经营者福山琢磨先生(78岁)不顾得失一直坚持编纂至今。每年从全国征集原稿,并且一丝不苟地亲自过目筛选。选出了发行候选文章后,便一个一个通过信函及电话沟通联系润饰修改。这是一项需要毅力令人肃然起敬的工作。
四半世紀の応募は1万6千編を超え、収録は1989編におよぶ。今年の一冊には67編が載った。戦陣訓を守って命を絶った従軍看護婦、機銃掃射を浴びて校庭で死んだ児童――戦争の実相は大所高所より細部に宿り、庶民の戦争録はずしりと重い。
四分之一世纪以来的应征来稿超过了1万6千篇,最后收录专集的达到1989篇。今年发行的这一部刊登有67篇文章。其中有恪守战阵训诫,最后献出生命的随军护士;有遭到机枪扫射,惨死于校园的儿童——战争的真实写照从高屋建瓴聚集到了细微之处,有关平民百姓的战争记录更是如重物坠地令人震颤。
だが今年、福山さんは気がかりだ。応募が過去最低の259編に減った。前年は661編あり、千編を上回った年も多い。高齢化に加え、震災など社会や政情の不安が気力を殺(そ)いでいるのか。激減をどう読み解けばいいか、考えあぐねている。
然而,今年福山先生却满心忧虑,因为应征来稿为历年最低,仅259篇。去年还有661篇,超过千篇的年份居多。除了老龄化之外,不知道是否还有地震灾害等社会及政局不安等因素扼杀了人们的毅力?如何来解读目前的骤减现象?真让人思无良策。
記憶は消えるが記録すれば生き続ける。ひらがな一字の違いに福山さんは志と熱を注いできた。気を新たにして次の募集を始めるそうだ。風化にあらがう背中に、後続の世代は教えられる。
人们的记忆会消失,而如果记录下来则将得到永生。即便是对于假名的一字之错,福山先生也倾注了全部的心志与热情。目前他正以崭新的精神面貌开始着手下一次的征稿工作。后续的年轻一代将从他老人家抵御风化侵蚀的背影中获得教益。