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日本美食:寿司的历史(2)(中日对照)

作者:来源  来源:沪江日语   更新:2015-7-7 11:12:54  点击:  切换到繁體中文

 


妖術? 手早く出来る握り寿司


魔法?快速做出的饭团寿司


そして、江戸時代に入ると熟れ鮨や押し寿司などの上方の寿司とはまた違った寿司が誕生します。それが現在の握り寿司の原型なのです。川柳に「妖術という身で握る 握り寿司」と歌われたように、握り寿司は妖術使いが結ぶ手印のような動きで瞬く間に寿司を握って作ることから気の短い江戸っ子たちに愛されていきました。この握り寿司を発明したのは「與兵衛寿司」を興した華屋與兵衛であると伝えられています。握り寿司の発明はやがて、関西の押し寿司文化と関東の握り寿司文化という形で寿司文化を二分していくことになります。


进入到江户时代之后,与鱼饭寿司、模压寿司等京都附近的寿司不同的寿司诞生了。那就是现在的饭团寿司的原形。像川柳里所歌颂的那样——“用魔法捏出来的饭团寿司”,饭团寿司是用施展了魔法的手势在瞬间制作出来的,也因此被急性子的江户民众们所喜欢。流传说发明饭团寿司的是振兴“兴兵卫寿司”的华屋兴兵卫。饭团寿司发明不久后就被分为关西饭团寿司文化和关东饭团寿司文化这两部分。


江戸前寿司の誕生


江户前寿司的诞生


握り寿司を発明した華屋與兵衛は、寿司文化に多大な貢献をしていくことになります。それが江戸前寿司です。江戸前寿司はその名の通り、東京湾で取れた魚介類を使った寿司のことで、保存技術が進歩していなかった江戸時代において花開いた寿司の料理技法なのです。例えばマグロは足の早い(腐りやすい)魚だったので醤油をベースにした調味液でヅケにして食べると言った、魚の状態を考えた調理法でお客に提供するという江戸っ子の心意気そのものなのです。


发明饭团寿司的“华屋兴兵卫”对寿司文化作出了很大的贡献。那就是“江户前寿司”。江户前寿司正如其名,是使用在东京湾捕获的鱼类做出的寿司,是在保鲜技术还没有成熟的江户时代里飞速发展的寿司料理技术。例如,因为金枪鱼是一种很容易腐坏的鱼,所以用以酱油为基础的调味料腌过后再吃,为客人烹饪料理时充分考虑到鱼的状态,也就是所谓的江户人的心意。


寿司の値段は?


寿司的价格?


江戸前寿司は屋台などで提供されていたので、大衆が食べる料理だったと言われています。その為、現在「江戸前寿司」を掲げる店は不当に高額を提示しているのではないのかと考えられていますが果たして、寿司は本当に「安くて美味しい庶民の味方」だったのでしょうか? 寿司を物語の焦点に置いた志賀直哉の「小僧の神様」では大正八年ごろの寿司の価格は一個六銭、片道の電車賃が四銭となっています。寿司一個ではお腹が膨れないから二個三個と食べていけば二十銭ほどにもなります。そばやうどんは一杯七~八銭ほどだったと言われていますから、少なくとも寿司は昔から安い食べ物ではなかったと言えます。


因为江户前寿司是在货摊等地方出售的,所以被认为是大众料理。但现在提供“江户前寿司”的店会让人觉得价格过于昂贵不合理,难道寿司以前真的是“便宜、美味的市民料理”吗?在以寿司为核心的志贺直哉的作品《小僧の神様》里,大正八年(公元1919年)的寿司的价格是一个六钱,单程的电车费是四钱。因为一个寿司吃不饱,所以吃两三个的话,就在二十钱左右。据说荞麦面、乌冬面是一碗七到八钱左右,所以可以说至少寿司在以前不是便宜的食物。


「鮨」 「鮓」が「寿司」になったのは?


是由“鮨”·“鮓”发展为“寿司”的吗?


さて、魚を米などで乳酸発酵させた「鮨」「鮓」が酢飯で魚を握る「寿司」になったと言いましたが、一体何時ごろから「鮨」「鮓」ではなく「寿司」の字を当てるようになったのでしょうか? それはおそらく、華屋與兵衛(はなやよへい)が店を開いた頃ではないかと考えられています。なぜなら、縁起を担ぐのが当たり前の江戸っ子です。初鰹をありがたがり、酉の市では熊手を買い求め、伊勢参りが最大のレジャーであったのです。寿司は「寿、目出度いことを司る」食べ物であると宣伝すれば、江戸っ子たちは「それじゃあ、ちょいと寿司で摘もうかい」と財布の紐を緩めるでしょう。つまり「寿司」とは当時の宣伝が現代まで残ったものなのです。


鱼用米乳酸发酵后转变为“鮨”“鮓”,再利用醋饭做成现在的“寿司”,但到底是什么时候起,“寿司”的汉字替代了“鮨”“鮓”的呢?一般认为是在“华屋兴兵卫”开店的时候。究其原因,迷信兆头(讲究吉利不吉利)的当然是江户的子民。向初夏最早上市的鲣鱼表示感激、在十一月酉日的庙会购买竹耙、参观伊势神宫是最大的消遣。要是宣称寿司是掌管长寿、幸运的食物,江户的子民们就会觉得说“那就稍微用寿司来碰碰运气吧”,肯在这上面花钱。也就是说,“寿司”是经当时的宣传遗留至现代的东西。


寿司の変化と時代の変化


寿司的变化和时代的变化


実は與兵衛寿司では、マグロはそう多く使われては居ませんでした。足の早い魚は下魚の下とされ、屋台などが使う程度でした。しかし、江戸前寿司が誕生したのは1820年代のこと。それはちょうど欧米で冷蔵庫が発明された時期のことなのです。時代を重ねるごとに流入する欧米の文化や技術は、寿司にも大きな影響を与えていきます。気化熱を利用して作った氷でマグロの鮮度を保つことが出来るようになると、マグロは下魚を返上して寿司の王様となって行きます。明治時代にはすき焼きなどの肉食文化の進歩で、味の濃い食べ物が好まれるようになるとトロの部分も食されるようになっていきます。その後、昭和期は終戦後、全国的な食糧難がありましたが寿司屋は『委託加工制』というお客が持ってきた米と引き換えに寿司を握るシステムを立ち上げ、様々なネタを使って寿司を復興させていったのです。


事实上,兴兵卫寿司里并没有很经常使用金枪鱼。容易腐坏的鱼被当成是次等的鱼,只在货摊子等处使用。“江户前寿司”诞生于1820年,刚好是欧美地区发明了冰箱的时候。伴随时代更迭传入的欧美文化技术对寿司产生了巨大的影响。利用气化热做出的冰可以保持金枪鱼的新鲜度,金枪鱼从次等鱼变为寿司王。明治时代时期,因为日式牛肉火锅等肉食文化的发展,人们变得喜好味道浓郁的食物,也渐渐开始食用脂肪的部分。二战结束后,昭和时期的日本出现全国性粮荒,寿司店建立新体系——“委托加工制”,用手工捏寿司来交换客人所持的米,动用各种方式复兴寿司产业。


 

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