このほか、互いに言い交わし異なる場所で心中をはかった事件を綴った『心中二枚絵草紙』、家の問題で悲劇にいたる町人の若い夫婦を描いた『卯月の紅葉』、その続編の『卯月の潤色』、妻子ある男の恋愛を取りあげた『心中重井筒』、女人禁制の僧院を舞台にした少年少女の恋を扱った『心中万年草』、『心中刃は氷の朔日』、『冥途の飛脚』、『今宮心中』、『生玉心中』、世話物としては最後の作品となった『心中宵庚申』などの「心中物」があります。
除此之外,还有《心中二枚绘草纸》,以当时的事件为题材写成,讲述互定终身的男女分隔两地,共谋殉情;《卯月红叶》,描写因家庭问题陷入悲剧的町人年轻夫妇,其续篇为《卯月润色》;《心中重井筒》描写有妻男子的恋爱;《心中万年草》以禁制女人的寺院为舞台,描写少年少女的恋情;其它还有《冥途飞脚》、《今宫心中》、《生玉心中》。而作为世话物的最后一部作品是《心中宵庚申》等心中物。
この頃は心中事件が多発し、その風潮を憂えた幕府は、心中は社会秩序を乱す行為、と取締りを行いました。死体は家族にも引き取らせず、野犬や野鳥が食い荒らすままにし、着物などは見張りの者が自由に処分したということです。生き残った場合は、町中でさらし者にした後、身分を剥奪しました。このように罰則は厳しいものでしたが、心中を美化する傾向もみられ、宝永元年(1704)に、元禄時代に起きた 21の心中事件を収めた『心中大鑑(しんじゅうおおかがみ)』という、心中者の名鑑まで発行されたということです。
当时由于殉情事件屡屡发生,幕府对这种风潮很是担忧,于是把“殉情”称作扰乱社会秩序的行为,严厉予以禁止。殉情者的遗体不能被家人领回,而是抛弃郊外任由野狗野鸟撕咬啄食,身上的衣物由看守人自由处理。活下来的殉情者则会在市街游行示众,之后被剥夺身份,沦为贱民。这些惩罚虽然极其严酷,却也反映出当时美化殉情的风潮。宝永元年,甚至还出版了一部名为《心中大鉴》的殉情者名鉴,当中收录了元禄时代的21起殉情事件。
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