水が貴重な国際宇宙ステーションでは、3年前から尿を飲料水に再生している。顔をしかめては「地上のぜいたく」と笑われよう。その水で乾杯した若田光一さんは「結構おいしい」と語ったものだ。
在水为贵重物质的国际太空站,从3年前开始就已经从尿液中提炼饮用水了。或许你会皱着眉头一脸不解地调侃这是“地面的奢侈”。不过,据用此水干过杯的若田光一先生描述说“味道相当不错”。
海水や雨水より抵抗はあろうが、科学的には何から作っても水は水である。では、何から作っても電気は電気かというと、そんな時代ではない。原子力は、いよいよの時に仕方なく頼る電源になった。
这可能要比源自海水以及雨水的更让我们有抵触感,可是,从科学的角度来解释的话,无论从何种物质中提炼,水终究是水。那么,是不是也可以说,无论采用何种物质发出的电,电就是电吗?看来目前并非是这样的时代。原子能在意想不到的时候,没有办法它还必须要成为我们所依赖的电源。
きのうの朝、福井県の大飯原発3号機が発電を再開した。こどもの日の夜に北海道の泊3号機が止まって以来、久々に原子炉がこしらえた電気が送電網を流れている。原発に頼らぬ日本は60日と8時間で幕を下ろした。
昨天清晨,位于福井县的大饭核电站3号机组重新开始发电了。自从男孩儿节的那天夜里位于北海道的泊核电站3号机组停止运营以来,核反应堆发出的电力时隔多日又流入了电网。不依赖核电的日本这台大戏终于在演出60天另8小时后落下了帷幕。
世の中はその間、とにもかくにも原発なしで回った。夏の試練に挑まなかったのは、万一の放射能より電力不足を政府が恐れたためだ。冷房の風、照明の色に違いはない。ともすればまた、原発頼みが社会の習い性になりかねない。
总而言之,整个社会在此期间运作在没有核电的状况之下。之所以未能挑战盛夏的考验,是因为相比万一发生的核辐射,政府更害怕电力不足的缘故。冷气的凉风、照明的颜色都没有什么不同,如此这般,很有可能依赖核电将又一次成为一种社会习性。
官邸を囲んだ怒りを聞くまでもなく、民意は脱原発にあろう。片や株主総会を見る限り、電力会社の意識は「動かすほどもうかる電源」のままらしい。地元経済の原発依存も変わらない。何ごともなかったように再稼働が続いては、福島の教訓が泣く。
你不必去听包围着官邸的民众愤怒的吼声就会知道,民意在于摆脱核电。而另外一方面,你只要看一看股东大会的情况就会明白,电力公司的意识没有任何的 变化,仍然认为这是一种“只要让它运作起来就能够保证赚钱的电源”。而当地经济依赖核电的现状也丝毫未变。如果像是没发生过任何事似地继续推行重新启动核 电站的话,那么福岛的教训真就要欲哭无泪了。
あすは二十四節気の小暑、節電の正念場が近い。宇宙と違い、選択肢がいくつかある地上で暮らす私たちである。せめて、原発を動かす必要はなかったと、数字で示したい。誰も顔をしかめない「安らぐ電気」だけで賄える国を目ざして。
明天是二十四节气的小暑,距离节电的重要关口越发接近了。与太空不同,我们生活在有多项选择的大地之上。希望至少能有数据表明没有运营核电站的必要。我们应该着眼于建设一个只采用任何人都不必为之愁眉不展的“安全电力”支撑下的国家。