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日本战后最大悬案:下山事件(中日对照)

作者:佚名  来源:朝日新闻   更新:2015-5-26 9:33:10  点击:  切换到繁體中文

 

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事件当時、国鉄合理化に伴う10万人規模の職員大量馘首のため、“暫定総裁”として初代国鉄総裁に祭り上げられたのが運輸次官から抜擢された下山定則だった。正に火中の栗を拾う役を担った下山総裁は、労働組合との泥沼の団体交渉の矢面に立ち、事件前日の7月4日にも3万700人にも及ぶ第1次人員整理者名簿を発表したばかりだった


事件当时,因伴随国铁的正常化要进行人数达10万人规模的大量裁员,运输次官下山定则受到提拔,被捧上作为“临时总裁”的首任国铁总裁一职。这真是个火中取栗的苦差,下山总裁担任此职后,便在与工会陷入僵局的团体谈判中成了众人攻讦的目标,事件前一天7月4日,他刚刚宣布了人数达3万700人的第一批被裁减人员名单。


こうした社会情勢における下山総裁の惨死は、事件当初から多くの憶測を呼んだ。人員整理を苦にした末の“自殺”だったのか。それとも何者かによる“他殺”だったのか。仮に他殺だったとすれば大量解雇に反対する「共産勢力」(労組左派)による暗殺なのか。もしくは「日米反動勢力」(GHQ、右翼組織、民主化同盟)による破壊工作だったのか。後にこれらの憶測は報道や世論、さらには日本の法医学界や警察内部までも二分する一大自他殺論争にまで発展した(警視庁捜査一課、慶応大学医学部、毎日新聞は自殺説。捜査二課、東京地検、東京大法医学教室、朝日新聞、読売新聞は他殺説)。


在这种社会形势下,下山总裁的惨死在事件一开始引来了众多臆测。是对裁员问题感到苦恼而“自杀”,抑或是因为什么人的“他杀”。假如是他杀的话,会不会是被反对大量裁员的“共产势力”(工会左派)暗杀的。或者,这是“日美反动势力”(GHQ、右翼组织、民主化同盟)搞出的破坏伎俩。后来,这些臆测发展成在新闻报道以及舆论中、甚至在日本的法医学界、警察内部都一分为二的自杀他杀大争论。(警视厅搜查一课、庆大医学部、每日新闻支持自杀说。搜查二课、东京地方法院、东大法医学研究室、朝日新闻、读卖新闻支持他杀说)。


だが事件からおよそ1カ月後の8月4日、警視庁捜査一課は捜査本部の合同会議において“自殺”と捜査方針を決定。その後、二課と地検の他殺捜査に圧力を加えながら年末を待ち、同年12月31日、大晦日の慌ただしさを狙い異例の早さで捜査本部を解散した。さらに翌昭和25年1月、一課は世論を自殺説に誘導するかのような『下山国鉄総裁事件捜査報告』(下山白書)を雑誌「改造」と「文藝春秋」に“非公式”に流出させ、事件を一方的に収束させてしまった。その後も警視庁は下山事件に関する一切の公式発表を行っていないだけでなく、すべての捜査資料を含む情報の開示を拒み続けてきた。


然而,事件过后的大约1个月后的8月4日,警视厅搜查一课在搜查本部的联合会议上,确定以“自杀”作为侦查路线。此后,一课一边向二课和东京地检施加压力,一边等待到年底,同年12月31日,趁着除夕的忙乱,一课破天荒地早早解散了搜查本部。接下来,第二年的昭和25年1月,搜查一课将一份似乎是在刻意将舆论引向自杀说的《下山国铁总裁事件搜查报告》(下山白书)“非正式”地透露给了《改造》杂志和《文艺春秋》,单方面地让该事件告一段落。之后,警视厅不仅不正式公布下山事件相关情况,还一直拒绝公开一切含有搜查资料的信息。


以来、半世紀以上。その間に数多くのジャーナリストや知識人が謎に挑み続けてきた。だが下山事件は実行犯の特定はもとより、自他殺さえ明らかにされぬまま現在に至っている。


此后,半个世纪过去了。期间有不少记者和研究人员都一直试图解开这个谜团。然而,直到现在,别说下山事件的作案者是谁了,到底是自杀还是他杀都还没真相大白。




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