GHQ(連合国軍総司令部)占領下の昭和24年(1949)7月6日、前日から行方不明になっていた国鉄総裁下山定則が常磐線北千住駅と綾瀬駅の間で、轢死体となって発見された。折しも国鉄職員約3万人の馘首を発表した直後。犯人は誰か。その目的は──。事件後、いまに至るまで論争が続くこの“戦後最大の謎”は、いまだ解明されていない。
在尚处在GHQ(联合国军总司令部)占领下的昭和24年7月6日,从前日开始失踪的国铁总裁下山定则碾碎的尸首在常盘线北千住车站和绫濑车站之间被人发现。这恰好是在下山宣布了国铁3万人的裁员之后。谁是犯人?其目的是——。事件发生后,争论一直持续到了现在,这个“战后头号谜团”事到如今依旧没能水落石出。
(GHQ:一般简称“占领军总司令部”,1945年8月在对日受降时,美国政府任命麦克阿瑟为占领军总司令,组成该机构,虽然有部分其它联合国成员,但实质上这是受美国控制的美军司令部,1952年4月《旧金山和约》生效后该机构被废除)
昭和24年(1949)7月5日──。
終戦から4年、GHQ占領下の東京で、後の「日本の政財界の方向を決定する」ともいわれる事件が起きた。
昭和24年(1949)7月5日——
战后以来第4年个年头,在GHQ占领下的东京,发生了一起被认为在此后“决定了日本财政界走向”的事件,。
朝8時20分、初代国鉄総裁下山定則は通常どおり大田区池上の自邸を公用車で出発。車中で「(今日は)佐藤さん(注=佐藤栄作元官房長官)のところに寄るのだった」という謎の言葉を残す。その後なぜか丸の内の国鉄本庁へは向かわず、「買い物があるから」と大西政雄運転手に日本橋の三越本店に行くように命じた。さらに三越が開店していないことを知ると神田駅を回り、千代田銀行(旧三菱銀行)本店の私金庫室に立ち寄った後、再度三越本店へと向かう。そして9時37分頃、大西に「5分くらいだから待っていてくれ」といい残して三越南口で車を降り、店内に入っていったまま忽然と消息を絶った。
清晨8点20分,国铁首任总裁下山定则如往常一样,乘坐公务车从大田区池上的私宅出发。车内,下山抛下一句“(今天)顺便到佐藤(佐藤荣作,前官房长官)那走趟”这样让人捉摸不透的话。蹊跷的是,此后车并没有开往丸之内的国铁本厅,下山让司机大西政雄行往日本桥的三越总店,理由是“要买些东西”。接着,在得知三越还未开店后,下山车又绕行神田町前往千代田银行(老三菱银行)总店的私人储金室,之后又再次前往三越总店。9点37分左右,下山对大西留下“等我5分钟”这句话,在三越南口下车,进入店内后就忽然销声匿迹了。
次に下山総裁が“発見”されたのはおよそ15時間後、翌6日未明だった。場所は足立区五反野、国鉄常磐線の北千住~綾瀬間の下り線路上だった。北千住を午前0時24分に出発した下り最終電車の運転士が、東武線のガード下一帯に人間の轢死体らしき肉塊が散乱しているのを発見。後にこれが、前日に失踪した下山総裁であることが確認された。いわゆる「下山事件」の経緯である。
下山总裁下一次被人发现已是15个小时之后,也即次日6日凌晨的事了。发现尸体的现场位于足立区五反野、国铁常盘线北千住到绫濑之间的下行路线上。凌晨0时24分,驶离北千住的下行列车司机在东武线的高架桥上发现疑似碾碎人体的肉块。之后,这些肉块被确认是前一天失踪的下山总裁。这就是“下山事件”的大致经过。
事件が起きた昭和24年は、日本の戦後復興の分岐点となった年でもあった。1月の総選挙において民主自由党が圧勝し、単独過半数の264議席を獲得。第3次吉田茂内閣が発足する裏で、日本共産党が35議席と躍進を遂げた。2月には米銀行家のジョゼフ・ドッジが公使として来日し、「経済安定九原則」を基盤とした「ドッジ・ライン」を実施し、その一環として国会は「行政機関職員定員法」を可決。6月に運輸省鉄道総局から独立したばかりの国鉄(日本国有鉄道)は、定員法による人員整理の最大の標的となった。
事件发生在昭和24年,这年日本正处于战后复兴的十字路口。1月的大选中,民主自由党力压群雄,获得过半数的264席。第三次吉田茂内阁成立,另方面,日本共产党一举将35个席位收入囊中。2月,美国银行家乔瑟夫・道奇作为公使访问日本,提出实施以“稳定经济九原则”为基础的“道奇路线”,其中一个步骤就是国会通过《行政机关职员定员法》。6月,刚从运输省铁道总局独立出来的国铁(日本国有铁道)便把根据《定员法》的裁员作为最大目标。
上一页 [1] [2] 尾页