産まれて来てくれてありがとう-感謝の気持ち
谢谢你,让我把你生下来!---感恩之心
わたしの教え子がいう。「日本人の発想は面白い!」と。
我的学生说:日本人的想法很有意思。
「教えてくれてありがとう」「家まで送ってくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」という表現を聞けばすぐに理解できるが、「食べてくれてありがとう」というのは、なんともオカシナ発想だ…。
“教我知识谢谢你”“送我回家谢谢你”“把我养大谢谢你”听到这些还是易于理解的,如果说“谢谢你吃我做的饭”,还是觉得有些奇怪。
教え子たちの考えによれば、自分が料理を作ったのなら、当然相手が自分に感謝するべきで、その結果出てくる言葉は「作ってくれてありがとう」になるはず。もちろん、その通りだ。
根据学生们的逻辑,自己做的饭,理所当然是对方感谢自己,应该听到的是“谢谢你给我做饭”。当然,这是毫无疑问的。
料理ができない私は「食べてくれてありがとう」という気持ちを味わったことがない。しかし、何となくだが、そのように言う女性の気持ちが理解できる。いや、実は「食べてくれてありがとう」と言うのは口だけで、本音のところは「真に受けるなよ、バカ男ども!」と思っているかもしれない…。まあ、とりあえず、日本人女性は、いつもいつも感謝の気持ちを抱いているやさしい人間なのだと思いたい。
“谢谢你吃我做的饭”对于不会做饭的我来说,是从没体会过这种心情的。但是潜意识中还是可以理解说这种话时女性的心情。当然,也有可能只是嘴上说“谢谢你”,但实际上心里在想“你们还当真啊,傻瓜!”不管怎么说,日本女性一直以来都拥有一颗感恩的心。
さきほど、「食べてくれてありがとう」という気持ちが少しだけわかると書いた。実は、それには理由がある。最近、日本の若者の間では、「出会ってくれてありがとう」という言い方を普通に使ったり、若くして親になった人達の間では、赤ちゃんに、平気な顔で「生まれてきてくれてありがとう」という言葉を口にしたりする。
刚才写道,多少能够理解“谢谢你吃我做的饭”这种心情,是因为最近在日本年轻人当中经常会听到“谢谢让我遇见你”;在年轻父母中,也会有人望着自己的小婴儿很自然的说“谢谢你让我把你生下”。
去年までは、「はっ、逆だろ?生まれてきてくれてありがとう?そんな馬鹿な!」と呆れていたが、実際に自分が親になり、目を閉じてスヤスヤ寝ている我が子を見て、心から「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちが芽生えてきた。感謝の気持ちというのは自然と湧き出てくるものだ。だから、「食べてくれてありがとう」も何となく理解できる。
如果在去年之前听到这句话肯定会想“说反了吧”。但是闭上眼睛假象一下:自己就是父母,看着自己孩子熟睡的小脸,真的会由衷而发“让我把你生下来,真好,谢谢你!”感恩之情油然而生。所以“谢谢你吃我做的饭”这种心情还是可以理解的。
さて、「感謝の気持ち」と聞いて、ある人を思い出す。福山雅治さんだ。彼は俳優としても歌手としてもあまりにも有名すぎて、わざわざ説明する必要もないが、彼は毎年自分の誕生日に、母親に花束を送るそうだ。「産んでくれてありがとう」という気持ちを表すためなのだが、もちろん本人はそれを言わない。
说到“感恩之心”,首先会想到福山雅治。作为演员和歌手他已经家喻户晓,没有必要再做说明。值得一提的是,他每年在自己的生日都会送给母亲一束花,是为了向母亲感恩“谢谢你把我生下来”,当然,他本人不会亲口说的。
最近、「感謝の言葉を口にしよう」がキーワードになっているようで、テレビでも雑誌でもよくその言葉を見かける。きっと、昔の日本人も今の日本人も感謝の言葉を口にするのが苦手なのだろう。
“说出你的感谢”似乎成为最近的关键词,在电视上、杂志上经常会看到类似的话。估计是一直以来日本人都不擅长说“谢谢”吧。
相手から感謝の言葉を聞くとものすごくうれしくなるし、自分も感謝の言葉を口にしていこうと思うようになる。ただ、感謝の言葉を口にするのが苦手なら、わざわざそれを口にする必要もないと思う。福山さんのように感謝の気持ちを行動に移すことができるなら…。
听到对方向自己说感谢不仅会特别高兴,而且自己也会不由自主的想说“谢谢”。当然,如果很不擅长说“谢谢”,就没必要特意说出来,像福山先生那样用行动表达出来也是令人感到温暖的。