ロシアでは「ごめんなさい」はかえって怒られる
在俄国,说“对不起”反而会遭训
今日は通訳の話です。
今天我要谈谈关于翻译的事儿。
部下が失敗をしたために、上司とあまり楽しくない話になってしまったときの通訳のことでちょっと困っていることがあります。
下属工作出现了失误,然后和上司之间发生了不太友好的对话——这种情况下的翻译,让我有些苦恼。
実は、失敗したときの行動は日本人とロシア人とでは違うのです。
事实上,日俄两国人在失败后采取的行动是不一样的。
日本だったら、まず「申し訳ありません」と謝ることになるでしょう。そして、この「謝る」というステップが済んで初めて失敗に至った経緯をまとめたり、今後の進め方を検討したりするステップにうつると思います。
如果是日本,会先说一句“申し訳ありません(真是抱歉)”以示歉意对吧。然后,结束“道歉”这个步骤,这才开始进入下一步——总结失败过程、或者探讨今后对策。
ところが、ロシア人の行動は違います。謝りの言葉を言わないか、さらっと言う程度。そして失敗に至ってしまった経緯からいきなり述べ始めます。そして、日本人はロシア人のそういう行動について「また言い訳をしている」と決まって怒ってしまいます。
然而,俄国人却不会这样做。道歉的话要么不说,要么轻轻带过,然后突然开始讲述失败过程。而此时,日本人肯定会很恼火,觉得俄国人“又在为自己找理由辩解”。
そういう場面の通訳をするとき、タチアナはいつも困ります。なぜならば、ロシア人がしゃべり出したとたんに日本人の上司の反応を予測できてしまうからです。「だらだらしゃべってないで、さっさと謝ればいいのに」と心の中で叫んでいます。
这种时候,塔季娅娜(笔者)总是会苦恼如何翻译是好。之所以这么说是因为,俄国人一开口说话我就能预见日本上司的反应。我总在心里吼:“别说这么多有的没的,赶紧认错才是啊。”
しかし、私はあくまでも通訳。人の言葉を訳すしかありません。そして、案の定上司は怒ってしまいます。しかし、そういう場合って、通訳として本当にそのまま部下の言葉を訳していいのだろうか、と実は非常に疑問です。というのは、このような場合は文化の違いがあってロシア人は日本人のような行動はそもそもとれないのです。
可说到底我也只是个翻译,只能是别人说什么我翻什么。果然,上司怒了。但其实我很疑惑,在这种场合下,作为翻译的我,就那么原原本本将下属的话翻译过去是不是正确的选择?也就是说,像这样,由于日俄文化存在差异,俄国人根本就不会像日本人那样去做。
では、もし、失敗したロシア人は日本人のようにизвините пожалуйстаなどの謝る言葉を並べた場合はロシア人同士でその行動がどう映るのだろうか?
那么,如果做事失败的俄国人和日本人一样,说出извините пожалуйста(意为不好意思)这些话以表歉意,俄国人又会怎样看待自己同胞这个行为呢?
実は、日本とは違って、ロシア人上司はその行動を当たり前だと思ったりなんかしません。むしろ、ひたすら謝る部下を「頼りない」と思うのです。なぜならば、部下が謝ったところで問題が解決しないからです。だから、上司として何より先に聞きたいのは、失敗の理由とこれからの計画なのです。そういう話をしている中で「すみません」に当たるロシア語も出てくるかもしれませんけれども、それはあくまでも説明の一部であって、日本のように「まず謝る」という「個別のステップ」はありません。こうして同じ場面でも日本とロシアとでは違う行動が求められるわけです。
其实,和日本不同,俄国上司不会觉得那样的行为是理所当然的,他们反倒会觉得一直道歉的下属“不靠谱”,因为道歉还解决不了问题。因此,作为上司最想知道的是失败的理由和今后的计划。虽然在问题讨论过程中可能会出现俄语的“对不起”,但说到底也只是解释的一部分,而不是像日本一样有“先道歉”这样一个单独步骤。即使是同一个场面,日本和俄国所期望的行为也是不同的。
実は、我が家でもそういう違いがたまに出たりします。
其实,我家也偶尔会出现这样的文化差异。
ゆうきが悪さをして、私は怒ってしまった。
由纪(笔者女儿,音译)做错了事,我很是恼火。
そこに日本人のパパがやってきて、事情を聞いてゆうきに「お母さんにごめんなさいと言いなさい」と言う。 ゆうきは「ごめんなさ~い」と暗い顔で言う。
此时身为日本人的爸爸过来了,了解情况后对由纪说“快跟妈妈说对不起”。然后由纪沉着脸说了“对不起~”
このような場面は今まで何回かあったんですけれども、毎回同じ展開になりました。ゆうきの「ごめんなさい」はタチアナに対して効果があるどころか、私をよりいっそう怒らせてしまうのです。ごめんなさいのような決まり文句は要らないから、今何をして、そしてどうしてそれがいけなかったのか、しっかり言葉にしてもらいたいのです。「ごめんなさい」は一切反省しなくても言えちゃうから、ロシア人の私としては便利な逃げ道に見えてなりません。そして、ほかのロシア人も同じように考えるのではないかと思います。
像这样的情况在我们家发生了很多次,每次都是一样。由纪这句“对不起”别说能让我消气了,简直是火上浇油。我不需要对不起这样的套话,而是希望她好好说清楚刚才做了什么,为什么不能那么做。“对不起”这三个字就算什么都不反省也能说得出口,对于俄国人的我来说,说这句话不过是给自己找了条方便的退路。我想,其他俄国人也会这样认为吧。
さて、会社の話に戻ります。失敗したロシア人部下はロシア文化の基準に従って行動をする。しかし、日本文化の基準で判断する日本人上司はその行動を見て怒ってしまう。通訳の私にも責任があるのではないかと思い、最近タチアナは、部下の「言い訳」の中に勝手に「すみません」を追加するようになりました。そうしたら、「すみません」を追加しなかった場合よりも明らかに上司の怒りが少なくなりました。
那么,回到刚才公司的话题。做事失败了的俄国下属基于俄国文化采取相应的行动。然而,以日本文化为判断标准的日本上司却因此而生气。作为一个翻译来说,我觉得可能我也有责任,因此最近在翻译下属的“辩解”时,会擅自加上一句“对不起”。结果,上司的火气明显比不加时要少了许多。
しかし、部下があまり反省してないと判断したら、タチアナは「すみません」を追加せずにそのセリフをそのまま訳してしまう。そして、上司は怒る。
但是,如果我觉得那个下属没怎么反省,就会将他说的话原原本本翻译过去,不会再多加“对不起”,上司听完后就会火冒三丈。
なんだか、通訳次第で上司の「怒り」が左右されるんですけど、そんなんでいいのだろうか?とまたまた考えてしまいます。
总觉得,我的翻译会左右上司的情绪,这样好么?我不禁又多想了。
みなさんならどうしますか?
如果是你,你会怎么做呢?