他人の好みや性格を知りたいなあ、と思ったときに「犬と猫」の例えはよく使われます。ワガママとか気まぐれだと「あの人は猫型だ」とか、「この人は犬好きだから、真面目なタイプが好きなんだろうな」とか。実際にはのんびり屋の犬もいますし、従順な猫もいますので当人(犬・猫)からしたら迷惑な話かもしれませんね。
想知道别人的爱好和性格时,常会用“狗和猫”来测试。有点拽拽的样子、性情反复无常的话,那么就说“那个人是猫型性格”,反之则是猜测“那个人很喜欢狗,看来也喜欢踏实认真的人吧”。而实际上,狗狗中也会有懒散派,猫咪中也不乏千依百顺的乖孩子,所以上面的判断对“当事人”(狗和猫)来说,或许是很困惑的事。
2月22日は「猫の日」ということで、本日は猫にまつわる歴史と各時代ごとの愛猫家達についてまとめてみました。必ず教科書に出てくるようなエライ人から「誰それ」といいたくなるような人まで、昔から……もとい猫の虜になった人は世界中にいたようです。
2月22日“猫之日”,因此今天我们就来谈谈猫咪的历史,以及各个时代的猫粉们。从教科书中必然提到的伟人,到默默无闻的小人物,自古以来都不不乏爱猫的人,话说回来,猫奴早就遍布了全世界呢。
猫の原産地はエジプト周辺といわれているのですが、現在見つかっている最古の飼育例らしきものはギリシャ・キプロス島にあります。9500年ほど前の要人のものとと思しき立派な墓の中に、猫の骨が見つかったのです。生贄なら家畜、死後のお供なら人間でしょうから、恐らくは可愛がっていた猫を一緒に埋めてあげたんだろうということになっています。
据说猫的原产地是在埃及附近,而现在发现最早的饲养事例却是在希腊的塞浦路斯岛。在一座距今 9500年前的豪华墓室中,人们发现了猫的骨头,墓的主人很可能是一位贵人。古时候,祈神时用家畜做祭品,死后则用人类做陪葬,由此不妨推测,人们把主人平日宠爱的小猫也一起埋葬进了墓室。
そのとき猫は生きていたのか、殺して無理やりお供をさせたのか、あるいは猫が死んだ悲しみのあまりに主が自害したのかが気になりますが、そこまでは研究されていないようです。
当时,那只小猫是活着的呢?抑或惨遭杀害被迫成为了陪葬品呢?又或者,主人是因为失去了爱猫过度悲伤而自杀的呢?尽管让人浮想联翩,但研究还并没有进行到这一步。
一方、原産地の古代エジプトではバステトという猫の顔をした女神がいますので、犬と同様に珍重されていた様子が窺えます。このため、楯に猫の絵を描いて敵を追い払ったこともあるとか。ネコミミ・猫しっぽに萌えていたわけではないでしょう。多分。
另一方面,在原产地的古埃及,有一位“芭丝特”长着猫咪面容的女神,看来在那里,猫和狗一样受到大家的尊崇。也正因为如此,古埃及人还在盾牌上刻上猫的图样,以此来追击敌人。说不定,他们也会被猫耳猫尾彻底萌到吧。
ところかわって中国やヨーロッパでは、猫は稲や麦の精霊と考えられ、同じくありがたい動物と受け取られていたとか。ネズミを追い払う(食べる)からですかね?
再换换地方说说中国和欧洲,在这些地方,猫咪被认为是稻、麦的精灵,同样很受人们欢迎的动物。会不会是因为猫咪能赶走(或吃掉)老鼠呢?
日本に渡来したのは弥生時代ころらしいのですが、はっきり文献に出てくるのは飛鳥時代。奈良時代には仏典をネズミから守るため、中国から一緒に運んできたことが記録されています。平安時代あたりからは誰それがねこに萌えていた。愛猫家であったという記述がたびたび出てきます。いよいよ怒涛の愛猫家ラッシュに入ります。
据说,猫咪移民日本是在弥生时代,不过明确的文献记载则出自飞鸟时代。据记载,奈良时代为了保护佛经不被老鼠损坏,猫咪也随着佛经一起从中国来到了日本。于是到了平安时代,某某人就疼爱起了猫咪。爱猫人的相关记载屡现于史册。接下来,总算要进入到波澜万丈的猫粉热潮中了。