日本史の愛猫家列伝
猫は渡来した生き物ですから、当初はとても珍しく、高貴な人物しか飼うことができませんでした。日本で高貴な方というと当然皇室です。そのため、日本の愛猫家は当初天皇家の方々だけでした。
日本史的猫粉列传
猫咪原本是从中国移民到日本的生物,一开始很大家都觉得新奇,也只有贵人才能饲养猫咪。不用说,日本最高贵的群体自然是皇室了。因此,日本的猫粉最开始仅限于天皇家。
記録に残っている中では、宇多天皇の日記「寛平御記」(かんぴょうぎょき)が日本における最古の飼育例とされています。「父上から黒猫をもらったよ。他の猫は薄墨色みたいな感じだけど、この子は墨みたいな真っ黒でめちゃくちゃ可愛いよ!(中略)座ってると黒い宝石みたいに綺麗だよ!それからそれから(中略)ある日話しかけてみたけど、やっぱり言葉はわからないみたいだったよ」(気持ち悪くない程度の意訳)
现在留存的记载中,宇多天皇的日记《宽平御记》(かんぴょうぎょき)是日本最古老的养猫事例。其中写道:“爸爸给了我一只黑猫。其他的猫咪都是浅黑色的,唯独这个孩子是全身漆黑,好像涂了墨水一样,实在太可爱啦!(中间略)他坐着时就像一颗黑亮的宝石,漂亮极了!其后省略N字(中间略)某一天我试着对他说话,可他似乎不明白我的话呢”(以上是勉强通顺的意译)。
「寛平御記」は一部しか残っていないこともあってこのくだりは有名なのですが、よりによってここが残るとは宇多天皇も思っていなかったでしょう。まさか愛猫の可愛さを伝えるために霊になって守ったとかそんなバカな。
由于《宽平御记》只剩下了一小册,所以上面那段记载特别有名。恐怕宇多天皇自己也没想到,流传后世的竟然是那段话。难道他为了告诉后人自家猫咪有多可爱,而在冥冥予以守护。怎么会呢
皇室には珍しいほどの仲良し夫婦・一条天皇と中宮定子も愛猫家でした。「命婦のおとど」という枕草子にも記載された猫です。命婦とは女官の官名ですので、おそらく雌猫だったのでしょうね。
在皇室中堪称稀品的模范夫妻一条天皇和中宫定子也是猫粉。这只猫叫做“命妇大殿”,《枕草纸》对此也有记载。“命妇”是宫廷女官的官名,可能是一只雌性的小猫吧。
この猫がある日犬にいじめられたのを見て一条天皇がブチ切れ、その犬を折檻した上島流しにしたといいますから、いかに猫バカだったかが窺えます。その犬はボロボロになっても宮中へ戻ってきたそうで、「女官も天皇も哀れに思った」と記録されているのですが、その後どうなったのやら。
据说,某一天,这只小猫被狗狗欺负了,不巧一条天皇看见了这一切,为此龙颜大怒,将这只狗狗责打一番后流放上岛,可见天皇对猫的宠爱简直到了无以复加的地步。可怜那只狗狗变得遍体鳞伤,仍然挣扎着回到了宫中。记载称“女官和天皇都觉得于心不忍”,不过后来到底怎样就不得而知了。
江戸城はネコがつくった
時代が飛びまして、最初の江戸城を作った太田道灌(どうかん)には猫に助けられたという逸話が伝わっています。あるとき、道灌は敗戦からの帰還中道に迷ってしまいました。モタモタしていると追手に見つかるか農民達の落ち武者狩りに遭いますので、悠長なことは言っていられません。しかし戦の後の疲労で右も左もわからず、途方に暮れていたそうです。そこへ現れたのが一匹の黒猫。彼(?)はまるで「おいでおいで」というように招くしぐさをしたので、道灌は不思議に思ってついていったそうです。
江户城是猫咪筑成的
时代飞逝,最初修筑江户城的太田道灌也留下了被小猫救下性命的轶闻。某一次,道灌战败后逃脱,却不巧迷了路。要是在路上磨磨蹭蹭的,不是被追兵抓捕,就是遭遇农民们的袭击,实在不是件从容休闲的事。然而由于恶战后的疲劳,道灌完全迷失了方向,正在他一路徘徊不知所措的时候,忽然出现了一只黑猫,摆出召唤他的姿势,放佛在说“跟我来跟我来”,道灌觉得很是不可思议。
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