「全然」ということばは下に否定的な表現を伴う、と説明している国語辞典がある。私はそう聞いて育ってきた。いや、「育ってきた」というのは大げさで、国語の授業でそう習っただけのことで、実際には「全然平気」などといった言い方に何の違和感も抱いていなかった。むしろ、そう習ったことによって、違和感が人為的に形成され、「自分が今まで使ってきたことばは間違っていたのだ!」と信じ込まなければ国語でいい点を取れなくなったのである。ただ、信じ込んでみても私にはいい点は取れなかったのだが。
有国语辞典对“全然”的解说是:后接否定表达,我也从小一直被这么教的。说“从小被这么教”有些夸张,其实就语文课上这么学过,其实对“全然平気(完全没事)”这种说法也完全没觉得有什么不妥。倒不如说由于这么学过,而人为形成违和感,如果不深信 “自己以前说的都错了!”,语文就不能取得好成绩。不过我信了,可语文还是没拿到好成绩。
この考え(「全然」の義務的否定帯同説)には、根拠ありとする人と、無根拠だとする人がいる。「根拠あり」の人は、「全然」のあとに肯定形が来るのは伝統的な日本語ではありえない、と唱える。しかし歴史的に見ればこれは誤解で、明治のころの夏目漱石の作品にも「全然+肯定形」は表れている。
对于“‘全然’必接否定说”的说法,有人觉得有根据,有人没根据。有根据的人提倡,“全然”后接肯定在正统日语中是不可能的。但从历史来看这是误解,明治时期夏目漱石的作品中也有“全然+肯定”的用法。
いろいろ調べてみると、「全然」の後ろは否定でなければならないというのは、戦後になって強く言われるようになったことのようである。では、明治時代には肯定形の例があったのだから現代でも問題なし(全然オッケー)なのかと問われると、やや戸惑う。私のように違和感を後天的に取得した人が日本じゅうにたくさんいる以上、「あの教育は実は間違いでした」と舌をペロッと出して済ませられるような問題ではないように思う。なぜ、戦後になってそのような「神話・伝承」が生まれたのか(生まれざるを得なかったのか)、ということを突き詰めてみる必要があろう。
经多方调查,我发现“全然”后必接否定是在战后才开始强力宣传的。不过,要说明治时代有“全然”后接肯定的用法那现代用也没问题(像“全然オッケー”),那还真有点犹豫。日本全国有众多像我这样后天形成不协调感的人,这不是随口说一句“这一教育其实是错的”就能解决。这里我们还要打破沙锅问到底,为什么在战后产生了(或者说不得不产生)这种“神话和传统”?。
「全然」は、「何かと比較して程度が上である」という場合に使うことが多く、「とても・非常に」と同じ意味だとは考えにくい。ラーメンを汁まで飲み干した後に「すっげー(超/めっちゃ)旨かった」とため息をつくことはあっても、「全然旨かった」と言うことはおそらくないだろう(比較の対象(比較の一杯)がある場合は別)。もっとも、これは必ずしも豊かではない私の食生活の範囲内の断言だ。
“全然”多用于“比较之下程度更深”的场合,很难将其意思等同于“とても、非常に(很,非常)”。人们在把拉面连汤带水吃光后会感叹“すっげー(超/めっちゃ)旨かった”,但恐怕没人会说“全然旨かった”吧!(如果有比较对象(相较另一碗)时又另当别论)。当然,这只是饮食生活不丰富的我在自己了解范畴内的一种断言。
最近の国語辞書には「全然+肯定形」が「俗用」として掲載されているが、「全然」が、また新しい方向に進みつつある。「全然良くない」「全然大丈夫」のように形容詞・形容動詞にしか用いられなかったのが、動詞にも使われるようになってきたのだ。先日テレビで耳にした例である。(写真を撮ったらだめでしょうか、という問いかけに対して、ある有名人が)「あ、もう、全然撮ってください。」
近期有国语辞典将“全然+肯定”作为“俗用”,“全然”也朝着新方向在发展。之前只用于形容词和形容动词比如“全然良くない”、“全然大丈夫”等,现在也能用于动词了。像前几天电视上听到的例子:(问到能否拍照时,某名人回答“あ、もう、全然撮ってください。(啊,嗯,尽管拍。)”
これは、「否定」とか「肯定」とかいったことを越えて、「あなたは『だめかもしれない』と想定したかもしれませんが、実際には何の問題もありません」という話者の気持ちを表す副詞(全然平気的副詞)になっている、と言えるのではないだろうか。
这个例子已经超越了“肯定”“否定”的范畴,可以说这个词变成了表达说话人感情的副词(完全没问题的副词),比如这里就是表达了“你猜测‘可能不行’,但实际上没任何问题”。