古代ギリシャの詩人ピンダロスは歌う。「戦いは知らざる人には甘美なれど、知る人はその近づくをあまりにも怖れる」。世のため国のため、勇ましい男たちが活躍するなど絵空事で、現実の戦争はむごく醜い。
古希腊诗人品达(Π?νδαρο? /Pindaros)有一首诗歌,“战争,对于不懂得它的人或许是甜美,可懂得的人却害怕接近它”。为了社会,为了国家,勇敢的人要挺身而出等等都是虚构的故事,现实的战争极其残酷丑恶。
本紙が募った「八月の歌」の入選作に、〈赤紙とおびただしい血と燃える火と赤、赤、赤のノンフィクション〉がある。愛知県立起(おこし)工高3年、長野薫(かおり)さんの一首だ。途方もない戦争の真実に絶句するのも、若い世代には貴い経験だろう。
本报募集的“八月之歌”有一首入选作品,<红纸鲜血火熊熊,并非虚构红、红、红>,作者是爱知县立起工高中3年级学生长野薰。对于年轻一代来说,面对难以想象的战争无言以对恐怕也是一种珍贵的经历。
終戦から67年、日本は幸いにも殺し合いをしていない。人口の78%が戦後に生まれ、悲惨を語れる人は2割いようか。「フィクション」が紛れ込まないよう、体験談を大切に語り継ぎたい。
战后这67年来,日本没有再发生互相杀戮真是万幸。人口的78%都是战后出生,能够讲述悲惨当年的人不知道还能否占到2成。希望能将这些不掺杂任何“虚构”的亲身体验好好地传承下去。
戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ』(岩波書店)にも歌がある。〈激しかりし敵火の中に我と生きし邦子(くにこ)の写真眺めつ想う〉。早大を出て、敗色漂う1944(昭和19)年秋からフィリピンなどを転戦した陸軍中尉である。
战争死难学生遗稿集《听吧!海神的呐喊》(岩波书店出版)里有一首诗歌,<激烈炮火传敌阵,我与邦子共生存,不知何时再相见,怀揣照片心驰骋>。这是一位陆军中尉的作品,他从早大毕业后,在战败已成定局的1944(昭和19)年秋起一直转战在菲律宾等地区。
新妻への手紙には「何百枚でも邦子の写真が見たい」とある。その人を二度と抱くこともなく、24歳の彼は鹿児島沖で戦死した。愛する者への思いに今昔はない。これを軟弱とさげすむ世には戻すまい。
在给新婚妻子的家书中还有“就想看看邦子的照片,即便有成百上千张也不嫌多”等语句。他再没有得到又一次拥抱妻子的机会,年仅24岁便最后战死在鹿儿岛一带的洋面。对于相爱者的思念没有古今之分。绝不能重新回到将这种情感蔑视为软弱的那种社会中去了。
「わだつみ」の出版に尽くした医師中村克郎さんは、1月に86歳で亡くなった。語り部、伝え手を連れ去る歳月は、非情にして優しく、滴るばかりの悲しみをセピア色に染めてゆく。しかし私たちが時の癒やしに甘えては、平和を知らずに息絶えた人に顔向けできない。
为了“海神”的出版呕心沥血的中村克郎医师已于今年1月以86岁高龄辞世。从我们身旁带走了这位宣传员、传承人的岁月把我们流淌不止的悲痛无情且仔 细地染成了暗褐色。可是,如果我们一味地依赖时间来疗伤的话,那么还有什么颜面去面对那些未能体验到和平就停止了呼吸的故人呢?