記憶や記録と共に生きる
桜の花の色が目黒川沿いを染める季節になった今、私の思いは再び1ヶ月前のあの重苦しい午後に引き戻される。山が崩れ地が裂けるような瞬間を思い起こした時、心に浮かんだのは「The Big Picture」に掲載された震災後の写真だった。津波に蹂躙され、どす黒い泥に覆われた瓦礫の中に、赤ちゃんのアルバムの一ページが映っていたのだ。人の世にやってきたばかりの天使は、果てしない廃墟に呆然としているようであった。
東日本大震災で津波の被害が最もひどかった宮城県南三陸町では、自衛隊が昼夜兼行で、崩れ果てた70%の建築物の残骸や汚泥を片付け、たった半分しか生き残れなかった町民(約7300人)のために道路を開いていた。半世紀前にチリ地震の津波に遭い、今回再び自宅が破壊された佐藤仁町長は、「思い出探し隊」のボランティア第1号となり、廃墟から被災者の記念品を捜す活動を開始した。
瓦礫を押しのけ、厚く積もったガラスの粉を拭い去る。写真、アルバム、記念メダル、トロフィーなど、自然の残酷な爪跡が残された遺留品を瓦礫と泥の中から探し出して人々に返すのである。ボランティアたちは注意深く泥を落とし、様々な思い出が詰まったものを一つ一つ宝物のように拾い上げる。海水につかって一つに張り付いてしまった写真は、丁寧にはがして乾かし、避難所に送られて、被災者が捜して受け取れるようにする。
二十年前の思い出が突然蘇ってくる。写真学校を卒業したばかりの私は、マウンテンバイクに乗って京阪神地方を訪れた。淡路島の島民の純朴な笑顔や、独特な魅力を持つみやげ物などの一つ一つにシャッターを押し、記憶の瞬間を切り取った。あの巨大な震災がすべてを無情に破壊した時、震災前の小島での美しい記憶と、フィルムに記録された真実が、灯りの下で私を活気に満ち溢れていた夏の日に引き戻してくれた。
余震が次第に収まり、震災後の復興が急がれるにつれ、あの天を覆うように襲ってきた津波も、原子力発電所の崩れた壁も、ゆっくりと人々の記憶の中から薄れていくことだろう。そして「思い出探し隊」のボランティアたちが廃墟の瓦礫の中から取り戻した写真が、間違いなくかつて存在した命のもっとも確かな記録となるだろう。それらは、震災の生存者たちが新たな生活を始めるための勇気を与えてくれると共に、大災害を経験した日本の人々に、時空を超え、生と死を超えた、かつての日々との出逢いを与えてくれることだろう…。(姚遠執筆)
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记忆与记录共存
现在已是目黑川两岸樱花烂漫的季节,我的思绪回到了1个月前那个沉重的下午。想起那山崩地裂的瞬间,脑中浮现的是刊载在《The Big Picture》上的震后照片。在惨遭海啸蹂躏、污泥掩埋的瓦砾中孩子相册的一页映入眼帘。初来人间的天使仿佛愣在无边的废墟中……
宫城县南三陆町是东日本地震受海啸影响最为严重的地区,自卫队昼夜不停地收拾70%遭彻底摧毁的建筑物残骸和污泥,为仅仅幸存的一半居民(约7300人)开辟道路。半个世纪前佐藤仁町长遭受了智利地震引起的海啸,这次又再次因海啸家破人亡。就是这样的他成为了“回忆搜索队”的一号志愿者,开始在废墟中搜寻受难者的纪念物。
掀开瓦砾,擦去一层厚厚的玻璃碎片,照片、相册、纪念章、奖杯……志愿者们从瓦砾和污泥中找出留下自然肆虐痕迹的遗留物还给物主。志愿者们很仔细地除去污泥,像拿起宝物一样小心翼翼地捧着装满了各种回忆的物品。他们很细心地把沾上海水粘到一起的照片分开烘干,让照片可以送到避难所人们的手中,让受难者可以找寻可以接受。
思绪突然回到了20年前,那时我刚从摄影学校毕业,骑着山地自行车游览了京阪神三都。淡路岛居民淳朴的笑容、有着独特魅力的特产,我按下快门,留下对他们的记忆瞬间。在大地震无情摧毁一切时,震灾前关于小岛的美好回忆和胶卷记下的真实情景把此刻灯下的我拉回了那个生机勃勃的夏日。
余震渐渐平息,随着震后复兴的加速进行,无论是几乎要吞噬一切的海啸,还是核电站设施破裂,一切都会在人们的记忆中渐渐变模糊。“回忆搜索队”的志愿者们在废墟中找回的相片无疑是曾存在的生命最真实的记录。这些物品在给幸存者勇气开始新生活的同时,也让经历了大地震的日本人超越时空与生死的界限,邂逅曾经的岁月吧。
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