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(翰文网中日对照)村上春树在加泰罗尼亚国际奖颁奖礼上演讲(上)

作者:未知  来源:翰文网   更新:2011-6-24 14:11:43  点击:  切换到繁體中文

 

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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)

 

9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 

「非現実的な夢想家として」

 

僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 

でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 

ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 

地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 

日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 

台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 

にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 

なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 

日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 

「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 

自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 

どうしてか?

 

桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 

そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 

今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 

でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 

ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 

僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 

みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 

十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 

なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 

また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 

我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。(バルセロナ共同)

 

村上春树在加泰罗尼亚国际奖颁奖礼上演讲

全文(上)

 

9日,作家村上春树受邀出席西班牙加泰罗尼亚国际奖颁奖礼,其获奖演讲原稿全文如下。                   

                    

“作为非现实的梦想家”

 

我之前来到巴塞罗那,还是在2年前的春天。举行签名会时,到场的读者数量惊人,排起了长队,用了一个半小时也未能全部签完。要说为何如此费时,只因很多女性读者向我索吻,为此花了不少工夫。

 

我曾在全世界各种各样的城市举办过签名会,但被女性读者索吻,也只在巴塞罗那一处。仅此一点,便可知巴塞罗那是个多么美妙的城市。能再度回到这拥有悠久历史和优秀文化的美丽城市,我倍感幸福。

 

但遗憾的是,今天要讲的事情与亲吻无关,我不得不谈一谈稍显严肃的话题。

   

如大家所知,311日下午246,日本的东北地区遭受强震袭击。这是一场使地球自转稍稍加速,一天缩短了百万分之1.8秒的地震。

 

地震本身带来了巨大灾害,而之后袭来的海啸更是留下了骇人的爪痕。有些地方海啸竟高达3939,这意味着即使奔上普通楼房的10楼,也无法脱险。海岸附近的许多人未能逃脱,近24千人遇难,其中近9千人依旧行踪不明。他们被越过堤防袭来的大浪卷走,至今遗体仍不知所踪,或许众多遇难者正沉眠于冰冷的海底吧。每每想起这些,想象如果自己立于那种处境,我就一阵揪心。即便是幸存者,许多人也失去了家人朋友,失去了房屋和财产,失去了共同的家园,失去了生活的基础。其间还有全村遭受灭顶之灾的村落。想必很多人连生存的希望都已遭剥夺。

 

提起日本人,似乎就意味着与众多的自然灾害共生。从夏天到秋季,日本的大部分国土都成了台风的走廊,每年必定遭受巨大损害,许多人因此死于非命。日本各地的火山活动也很活跃。而后自然是地震。日本列岛脚踏四大板块之上,以一种悬乎其悬的姿势位于亚洲东部一隅。用我们的话说,就好比是在地震的巢穴之上营生。

   

台风袭来的日期和途经路线我们还能有一定程度的了解,但地震就不可预料。只有一点可以肯定:这并非终结,其他的大地震必将在不远的未来降临。许多学者预测:大概在最近2030年内,东京周边地区将发生8级大地震。那可能发生在十年之后,又或者可能就在明天下午发生。如果像东京这样人口密集的巨型城市遭受“直下型地震”袭击,那将带来怎样的灾害,谁也不知道正确答案。

   

尽管如此,东京都内的人们现在仍过着普普通通的日常生活,而仅东京都内人口就有1300万。人们依旧登上载满乘客的电车上下班,在高楼大厦里工作。此次地震之后,“东京人口减少了”之类的传言,我未有耳闻。

    也许您会这样询问:为什么?为何在那样可怕的地方,那样多的人能若无其事地生活下去?不会因恐怖而变得精神反常吗?

 

日语中有“无常”一词。一直持续的状态不等于永恒不变的状态。降生于世的所有事物都终将消逝,所有的一切都在马不停蹄地变化着。永远的安定,或是应该让人依赖的不变不灭之物这些,任何地方都不存在。这是从佛教传来的世界观,但“无常”这一观念,通过与宗教略有差异的途径,被深植于日本人的心理特性之中,并作为一种民族心理,自古代开始便几乎一成不变地被传承至今。

 

 “一切都只是过眼云烟”,可以说这是一种消极的世界观。人即使想逆自然的潮流而上,也终归徒劳无益——就是这样一种观念。但日本人在这样的消极之中,反而积极地发现了美的理想状态。

 

谈起自然,我们欣赏的是春樱、夏萤、秋枫。而且是集团性、习惯性地,就像理所当然似地,满怀热情地观赏它们。樱的名胜,萤火虫的名胜,红叶的名胜,一到相应的季节便人头攒动,预约旅馆也成了件困难事。

 

为什么呢?

 

因为樱也好,萤火虫也好,红叶也罢,都只是刹那芳华。我们为了目睹那一瞬之荣华,甚至不惜劳足远行。而它们也并非只是美丽而已。在眼前樱华如幻梦一般散落,微弱的萤光渐失,艳丽的色彩被夺走,我们通过这样的确认,反而松了口气。盛极之美在面前划过、消逝,我们从中反而能找到安心。

 

到底自然灾害会否对这样的心理特性造成影响?我不知道。但可以确定的是,我们经历了一个又一个不请自来的自然灾害,某种意义上已接受其为“无可奈何之物”,并以集团形式战胜灾害生存至今。或许这种经历,已经给我们的审美意识带来了影响。

 

此次大地震,几乎所有日本人都受到了强烈刺激。其灾害的巨大规模,连平时对地震习以为常的我们,也至今心有余悸。我们倍感无力,甚至对国家的未来感到不安。

 

但最后,我们还是会再振精神,向着复兴之路重整旗鼓吧。对此,我倒并不怎么担心。我们就是如此这般在漫长的历史淘沙中存续至今的民族。不能一直因刺激而意志消沉。毁坏的房屋可以重建,崩塌的道路也可以修复。

 

结果,我们不过是自说自话地租下了这一名为地球的行星,而并非向地球请求“无论如何,请让我们住下来。”虽说有点小晃动,却连抱怨也不可能。因为不时摇晃两下正是地球的属性之一。与好恶无关,我们只能与那样的自然共存下去。

 

在此,我想讲的东西与房屋和道路不同,无法简单修复,那是伦理或规范层面的事物。这并非有形之物,一旦损坏,便不可能简单复原。因为不是那种只要备好机械,召集人手,买齐资材就能马上造出来的东西。

 

我现在所言,具体说来,就是指福岛核电站的问题。

 

恐怕大家也都知道,福岛在地震和海啸中受灾的6座原子炉中,至少有3座,一直未能修复,目前仍在向周边地区散播放射能。堆芯熔毁,周围的土壤被污染,含有相当浓度放射能的污水很可能正流入附近海域,风又将污染物运往更广阔的天地。

 

10万人被迫从核电站周边地区撤离。田地、牧场、工厂、商业街、港湾,均遭弃置,无人打理。曾经居住在那里的人们,或许再也无法返回当地。虽然歉意万分,但灾害不仅限于日本国内,恐怕也将波及相邻各国。

 

为何会演变成如此凄惨的事态?其原因几乎不言自明。因为建设核电站的人们没有料到会发生如此大规模的海啸。虽然多名专家都曾指出,这一地区以前发生过与此次同规模的大海啸,要求重新评估安全标准,但电力公司并未认真受理此建议。因为,为几百年都未必遇上一次的大海啸投入重金,这自然不受营利性企业欢迎。

 

同时我们能看到,理应对核电站安全对策执行严格管理的政府,也为了推行核能政策,不断降低安全标准的等级。

我们对事件进行调查,其中如有过错,就必须弄个清清楚楚,明明白白。为了那样的过错,至少十万余人被迫抛弃土地,改变生活方式。我们必须愤怒!理所当然!(共同社 巴塞罗那)

 

 

 


 

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