少女探偵に託すプロ意識 麻耶雄嵩「隻眼の少女」
「探偵の誕生」を描く物語である麻耶雄嵩(まや?ゆたか)の『隻眼の少女』(文芸春秋)が、日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞の「2冠」を獲得した。因習にとらわれた寒村を舞台に、名探偵の血を引く少女が初の事件に挑む。そこには作者の探偵観がこめられている。
少女の名は御陵(みささぎ)みかげ。名探偵の亡き母の名を継ぎ、母と同じ隻眼を持つ。寒村での殺人事件が彼女の「デビュー戦」になった。
新人探偵にしたのは理由がある。麻耶は子どもの頃から、ホームズや金田一耕助など華麗に謎を解く探偵に憧れた。ただ彼らが「どう名探偵になっていったのか」と疑問を抱いていた。
元刑事の父から技術を学んだ少女は、自信を持って事件の依頼を引き受ける。だが、時に悔しさもかみしめる。「裏をかかれて教訓を得たり、慎重さを学んだりして独立するんです」
少女は厳しい「名探偵」への道を歩む。作中で少女の父は言う。「探偵というのは神様ではない」「解決できず、罵倒や嘲笑をうけることもある」と。
試練を越えさせるのには、別の意味もある。「素人探偵」への、アンチテーゼになっているのだ。
「探偵は他人の秘密を暴く。正義感の一言で素人が首を突っ込んでいいのか」と麻耶は話す。探偵には、重責を背負う「プロ意識」が必要との思いは強い。
だから探偵は特別に造形する。麻耶の探偵は、すべて奇抜な衣装をまとう。昨年刊行の『貴族探偵』では、探偵が皇室御用達のスーツを着る。少女も神職のような水干姿だ。「ホームズも金田一も、服装でそれと分かる像がある。名探偵は目立っていい」
麻耶にとって探偵は「ヒーロー」だ。「特撮のヒーローが敵を倒すのと、探偵が謎を解くのは同じなんです」。ただ、格好いい姿だけを書く気にはなれない。現実社会はより複雑で、単純な正義はありえないからだ。「社会との接点を考えると、探偵も素朴なヒーローではいられないんです」
■「ホームズ」と一線画す
『隻眼の少女』は、本屋大賞を受賞した東川篤哉の『謎解きはディナーのあとで』が描く古典的な完全無欠の名探偵像とは、一線を画す。『隻眼』の水干姿の少女と、『謎解き』の令嬢に仕える執事。同じく外見が派手な探偵2人の違いは何か。
『探偵小説論』などの著作がある作家の笠井潔は、『謎解き』の執事は「ホームズやルパンの流れをくむ名探偵」と指摘する。探偵小説の原点は1841年、エドガー?アラン?ポーの「モルグ街の殺人」。天才的探偵に被害者、犯人という「型」ができた。「ホームズなども、そこが原点にある」
彼らは超人的な捜査力を持つ。ホームズは一目見ただけで依頼人の来歴を当てる。日本では戦後から50年代に探偵小説が成熟。横溝正史の名探偵、金田一耕助が登場した。
だが80年代末に起きた「新本格ミステリー」ブームでは、「探偵はすべてを把握しうる存在なのか」を追究する作家も生まれた。北村薫の「円紫さん」シリーズは、たわいもない「日常」に謎を見つけて大仕掛けもなく解く。探偵は超人的ではなく、存在意義を自問自答することもある。
笠井は『隻眼』がこの流れの上にあるとし、「真理の代弁者としての探偵像が揺らぐ中で名探偵を描く、という困難な作業に向き合った」と評価している。(高津祐典)
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麻耶雄嵩的《慧眼少女》――托付于少女侦探的职业意识
麻耶雄嵩的推理小说《慧眼少女》(文艺春秋出版),讲述“侦探的诞生”故事,近日摘得日本推理作家协会奖和本格推理小说大奖两项桂冠。以因循守旧的贫寒乡村为舞台,继承名侦探血液的少女挑战最初的悬疑事件,作者的侦探观贯穿其间。
少女名为御陵御影,继承了已故名侦探母亲的名字,拥有一双同母亲一样的“慧眼”。荒村杀人事件成为了她的“处子秀”。
主角设定为新手侦探不无缘由。麻耶从孩提时代开始,便对福尔摩斯和金田一耕助等华丽地解决谜团的名侦探们心怀憧憬。但他始终抱有一个疑问“他们是如何成为名侦探的呢?”
少女从原为刑警的父亲那学习技巧,带着自信接受事件委托,但有时也饱尝悔恨的滋味。“吃一堑长一智,学会慎重才能实现独立。”
她在成为“名侦探”的荆棘之路上前行。作品中少女的父亲说“侦探不是神”“也有无能为力、遭受痛骂和嘲笑的时候。”
让少女通过考验,也有其他用意,这是与“外行侦探”的彻底诀别。
麻耶说:“侦探总在揭露别人的秘密。外行人单凭正义感就一头扎入其中,这样好吗?”他强烈认识到:对侦探而言,需要深感重任在肩的“职业意识”。
因此,侦探们往往造型独特。他笔下的侦探们,都身着奇装异服。去年出版的《贵族侦探》的主角身穿皇室御用西服。慧眼少女也是一身类似日本神职人员的水干装。“不论福尔摩斯还是金田一,都是光看服装便知其人的形象,名侦探还是打眼的好。”
对麻耶而言,侦探是“英雄”。“侦探解开谜团,与特摄片里英雄打倒敌人如出一辙。”但仅凭虚有其表的描写无法引人入胜。因为现实社会更加复杂,简单的正义必然行不通。“若联系社会进行思考,侦探也不会是普通的英雄。”
与“福尔摩斯”划清界线
东川笃哉的推理小说《谜题在宴会之后揭晓》日前荣获日本全国书店大奖(本屋大赏)。《慧眼少女》与《谜题揭晓》中描绘的全无缺陷的古典型名侦探形象迥然有别。一个是身穿水干的少女,一个是服侍千金的管家,外表同样华丽的两位名侦探有何不同?
《侦探小说论》等著作的作者笠井洁指出,《谜题揭晓》中的管家是“与福尔摩斯和鲁邦(亚森.罗宾)一脉相承的名侦探”。侦探小说的原点是1841年,埃德加.爱伦.坡发表的《莫格街谋杀案》,确立了天才侦探加受害人、犯人的一般故事模式。“福尔摩斯等也都以此为原点。”
他们都拥有超越常人的刑侦能力。福尔摩斯只看一眼委托人便能猜出其来历。日本的侦探小说在战后至二十世纪五十年代之间趋于成熟,横沟正史笔下的名侦探——金田一耕助也在此时登上舞台。
但在80年代末兴起的“新本格推理”(newmystery)热潮中,也出现了寻求“侦探能掌握一切吗?”答案的作家。北村薰的“圆紫大师”系列,便是发现并解密一些微不足道的日常之谜,而没有天马行空的诡计设定。侦探并非超人,也会对自身的存在意义提出质疑。
笠井认为《慧眼少女》顺应了这一潮流,评价说:“作者面对的是一项困难的工作,侦探作为真理代言人的形象正如风中之烛,作者需要在此中描绘名侦探的形象。” (高津祐典)
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