現代は次から次へと新しい健康関連商品が発売されて、いつも何らかの健康ブームがある。それは江戸時代も同じで、かたちは今と違うが健康への関心の高さは、相当なものがあったことが伺える。医療技術や薬の未発達だった時代、人々はどのように健康や病気と付き合っていたのだろうか。
在现代,新的健康保健产品不断上市销售,健康热长盛不衰。而在江户时代也是同样的,虽然形式与现在不同,对健康的关心程度却也非同一般。在医疗技术和药物尚未发达的时代,人们是怎样处理健康与疾病的呢?
庶民が日頃使っていた薬は、「売薬(ばいやく)」と呼ばれるものである。薬草や動物の脂肪などを利用した丸薬(がんやく)、膏薬(こうやく)などの大衆薬で、広く普及し、また種類も多かった。江戸には薬の行商も大勢やってきた。長屋の住民はこの行商人から薬を買っていたはずである。有名な薬は店舗を構えて売られていた。
当时平民日常使用的药物称作“成药”。此外,用药草或动物脂肪制成的“丸药”、膏药等大众药物也广泛普及,种类繁多。卖药郎大批大批地涌进江户。长屋的居民就向这些商贩购买药品。而一些名气大的药物则陈列在店铺里出售。
図は、大伝馬町(おおでんまちょう)の通旅籠町(とおりはたごちょう)にある、三升屋平右衛門のお店。艾(もぐさ)を売っている店だ。「もぐさ」には燃え草という意味があるように、灸(きゅう)に使うもので、原料は「よもぎ」の葉である。人々はこの「もぐさ」で灸治療した。「よもぎ」の葉は万病に良いとされ、煎じて飲んだり、薬として食べることも一般的だったようである。実はこの「もぐさ」には「団十郎もぐさ」という名前が付いている。
图片所展示的,是位于大传马町通旅笼町的三升屋平右卫门的店铺。这家店出售的是艾绒。艾绒的意思即“燃草”,也就是灸法所用的材料,其原料是艾草的叶子。人们用艾绒进行针灸治疗。而艾草叶也被视为治百病的良药,一般的做法是煎服,或作为药直接食用。实际上,这种“艾绒”被冠上了“团十郎艾绒”的名号。
店主の平右衛門は、人気の芝居役者「市川団十郎」から「団十郎もぐさ」とし、団十郎の紋「(みます)」を商標として使うばかりか、自らも「三升屋」と名乗っている。もちろん、「団十郎」と「もぐさ」は何のかかわりもない。こういう「あやかり商売」は江戸では一般的で、実際いろいろな人が団十郎○○という代物を売っていた。いいかげんのような気もするが、それが江戸の社会だった。
店主平右卫门借用当红歌舞伎演员“市川团十郎”之名,给艾绒冠以“团十郎艾绒”的名号,又用团十郎的家纹(三枡)作为商标,不仅如此,他竟然还自称“三升屋”。不用说,“团十郎”与“艾绒”之间没有半点联系。像这种“炒作销售”,在江户是司空见惯的事,实际上,当时有各种各样的人都在兜售号称“团十郎○○”的商品。还真是太乱来了,不过这就是江户的社会。
病気も軽ければ売薬程度で治せるだろうが、はやり病となると深刻である。特効薬がまだなかった江戸時代、疫病(伝染病)はもっとも恐れられていた。天然痘、コレラ(コロリ)、麻疹(はしか)などは年によってはかなり流行し、死亡率も高かった。とくに子どもは、天然痘、麻疹、水疱瘡を無事に通過することが大事だった。江戸時代の平均年齢には諸説あるが、40歳台の前半あたりに落ち着いている。これは、幼児の死亡率がとても高かったためにはじき出された結果の数字だ。幼児期を首尾よく通過して成人すれば、平均60歳以上は生きられたようである。
若是较轻的疾病,一点成药尚可治愈,若是遇上了流行病,情况就严重了。在没有特效药的江户时代,传染病是最可怕的事。天然痘、霍乱、麻疹等疫病频发,死亡率也非常高。特别对孩童来说,平安熬过天然痘、麻疹、水疱是性命攸关的大事。关于江户时代的平均年龄说法不一,大致认为是40岁前半。这个数字是在过高的幼儿死亡率影响下所得出的结果。如果能够平安度过幼儿期,顺利成人的话,平均就能活到60岁以上。
いずれにせよ原因も予防法も分からない疫病に対して、漢方医学は無力だった。町医者に診てもらえる富裕層も、余裕のない庶民もこの点は平等である。疫病になす術もなく神社仏閣の参拝、願かけ、まじないをする江戸の人々の気持ちは察するに余りある。
不管怎样,对那些既不知预防方法,也不知原因的疫病,中医学是无能为力的。无论是请得起医生的富人,还是没钱看病的平民,面对疫病都是一样的。对疫病无计可施的江户人们,或前往神社佛寺参拜,或是念咒消灾,这种心情是不难体察的。
「久松(ひさまつ)るす」の貼り紙は風邪除けのお札である。家の者が風邪をひかないように、この文字を半紙に書いて玄関や軒下に貼り付けた。この意味は、お染(そめ)と久松の恋の物語に端を発している。「お染久松」は現在も度々上演される歌舞伎や浄瑠璃の演目である。
“久松”贴纸是一种用于祛除感冒的消灾符。为了让家人远离感冒,人们在白纸上书写“久松”字样,贴在门口或屋檐下。“久松”的意思来源于阿染与久松的恋爱故事。直到现在,《阿染和久松》还是经常上演的歌舞伎、净琉璃剧目。
当時流行した風邪は、人気の歌舞伎に因んで「お染風邪」と呼ばれた。お染と久松は恋人同士、簡単に言えば『あなたの大好きな久松さんは留守をしておりますので、この家にお染風邪さんは会いに来ないでね』の意味。
当时,人们会为流行感冒取上人气歌舞伎的名字,称之为“阿染感冒”,阿染和久松是对恋人,那么“久松るす”的意思也就不难理解了,“阿染感冒小姐,你钟意的久松不在这里,就别进屋了”。
インフルエンザ(流行性感冒)と風邪(普通感冒)は今日区別されているが、江戸時代明らかにインフルエンザの大流行と思われる風邪がある。そして、ご丁寧に名前が付いている(人の名前が多い)。お駒風邪(女郎のお駒)、谷風邪(横綱谷風)、お七風邪(八百屋お七)など…。それはそれとしても、「久松るす」は江戸人特有の洒落心か、真剣なまじないか、それは不明である。
流行性感冒与普通感冒在今天是明确区分的,江户时代也几近出现过明显的流行性感冒。于是人们郑重地为它们取了名字,比如“阿驹感冒”、“谷氏感冒”、“阿七感冒”等等。而“久松るす”是江户人特有的幽默呢?抑或是一种严肃的咒术呢?这倒是不清楚了。